中東外交:銃より薀蓄、兵士より詩人
ムルスィー・前エジプト大統領に死刑判決が下ったり、バハレーンのシーア派野党指導者に四年の禁固刑が言い渡されたりと、中東では相変わらず政敵追い落としの判決が続いていて、不穏さを増しているが、今日は少し、閑話休題。中東地域をフィールドワークするツボについて、話そう。
中東、と一言でいっても、現地社会に入り込むツボは、国や地域でまちまちだ。筆者が一番長くフィールド調査を行ったのはイラクだが、そのツボは二つある。相手の出自を褒めること、そしてイラク人の琴線に触れる歴史を語ることだ。
イラク人もそうだが、アラビア半島やヨルダンなど、部族社会を背景に持つ国では、お国自慢をさりげなく引き出すと、喜ばれる。名前や出身地などを聞きながら、あの部族かな、この名家出身かな、と推量し、だいたいあたりがついたところで、その一門の武勇伝や誇るべき歴史を褒める。相手の名字から推察して、ひょっとしてあなたはあの有名な○○将軍のご一門では?と話しかけると、いかつい官僚面が一挙に破顔して、おお、よくぞ気づいてくだすった、とばかりに、名家自慢が始まる。
一門の誇りを褒めるには、その歴史を熟知しておかなければならないが、ほとんどのイラク人の琴線に触れる史実がある。イラク建国前夜の反英暴動、通称「20年革命」だ。
日本でいえば、まさに幕末。これでもかとばかりに魅力的な憂国の志士が登場し、最初は宗派や部族や出身階層でばらばらだった人々が、イギリスの支配が進むにつれて、心をひとつにしていく。「イラク」が国として成立したのは、イギリスが戦後処理のために適当にでっちあげたからではあったが、逆にそのイギリスという共通の敵の存在によって、存在しなかった「イラク人」という国民が作り上げられた。坂本龍馬のように、反目しあう諸勢力をまとめあげようとする者あり、高杉晋作のように、平民をかき集めて機動力のある武装組織を作り上げる者ありで、「20年革命」をテーマにした歴史書はたくさんある。
何を隠そう、筆者の修士論文はこの「20年革命」についてなのだ。その経験が、宗派や部族、主義主張がバラバラなイラク人の集まりに同席するような機会に、役立つ。「20年革命をテーマに修論を書いた」と言っただけで、あちこちから質問やらコメントやら助言やら、次々に声をかけられる。石油産業の専門家、バリバリの理系エリートですら、「20年革命の歴史なら、××と○○と△△の本を読むがいいよ」と勧めてくれる。
歴史と社会についての薀蓄が役に立つのは、研究のためだけではない。外交の重要な舞台でも、それはずいぶんに役に立っている。
イラク戦争後、ヨルダンのアンマンでイラクの将来に関する学者の集まりがあった。ヨルダンが音頭を取って欧米とイラクの学者を出会わせたわけだが、会議の資金調達や運営は、日本の国際交流基金やドイツの文化支援機関、ゲーテ・インスティテュートが請け負っていた。筆者は、国際交流基金のサポートを得て、参加し研究報告をしたのである。
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