コラム

中東外交:銃より薀蓄、兵士より詩人

2015年06月17日(水)11時40分

 ムルスィー・前エジプト大統領に死刑判決が下ったり、バハレーンのシーア派野党指導者に四年の禁固刑が言い渡されたりと、中東では相変わらず政敵追い落としの判決が続いていて、不穏さを増しているが、今日は少し、閑話休題。中東地域をフィールドワークするツボについて、話そう。

 中東、と一言でいっても、現地社会に入り込むツボは、国や地域でまちまちだ。筆者が一番長くフィールド調査を行ったのはイラクだが、そのツボは二つある。相手の出自を褒めること、そしてイラク人の琴線に触れる歴史を語ることだ。

 イラク人もそうだが、アラビア半島やヨルダンなど、部族社会を背景に持つ国では、お国自慢をさりげなく引き出すと、喜ばれる。名前や出身地などを聞きながら、あの部族かな、この名家出身かな、と推量し、だいたいあたりがついたところで、その一門の武勇伝や誇るべき歴史を褒める。相手の名字から推察して、ひょっとしてあなたはあの有名な○○将軍のご一門では?と話しかけると、いかつい官僚面が一挙に破顔して、おお、よくぞ気づいてくだすった、とばかりに、名家自慢が始まる。

 一門の誇りを褒めるには、その歴史を熟知しておかなければならないが、ほとんどのイラク人の琴線に触れる史実がある。イラク建国前夜の反英暴動、通称「20年革命」だ。

 日本でいえば、まさに幕末。これでもかとばかりに魅力的な憂国の志士が登場し、最初は宗派や部族や出身階層でばらばらだった人々が、イギリスの支配が進むにつれて、心をひとつにしていく。「イラク」が国として成立したのは、イギリスが戦後処理のために適当にでっちあげたからではあったが、逆にそのイギリスという共通の敵の存在によって、存在しなかった「イラク人」という国民が作り上げられた。坂本龍馬のように、反目しあう諸勢力をまとめあげようとする者あり、高杉晋作のように、平民をかき集めて機動力のある武装組織を作り上げる者ありで、「20年革命」をテーマにした歴史書はたくさんある。

 何を隠そう、筆者の修士論文はこの「20年革命」についてなのだ。その経験が、宗派や部族、主義主張がバラバラなイラク人の集まりに同席するような機会に、役立つ。「20年革命をテーマに修論を書いた」と言っただけで、あちこちから質問やらコメントやら助言やら、次々に声をかけられる。石油産業の専門家、バリバリの理系エリートですら、「20年革命の歴史なら、××と○○と△△の本を読むがいいよ」と勧めてくれる。

 歴史と社会についての薀蓄が役に立つのは、研究のためだけではない。外交の重要な舞台でも、それはずいぶんに役に立っている。

 イラク戦争後、ヨルダンのアンマンでイラクの将来に関する学者の集まりがあった。ヨルダンが音頭を取って欧米とイラクの学者を出会わせたわけだが、会議の資金調達や運営は、日本の国際交流基金やドイツの文化支援機関、ゲーテ・インスティテュートが請け負っていた。筆者は、国際交流基金のサポートを得て、参加し研究報告をしたのである。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ゼレンスキー氏、和平巡る進展に期待 28日にトラン

ワールド

前大統領に懲役10年求刑、非常戒厳後の捜査妨害など

ワールド

中国、米防衛企業20社などに制裁 台湾への武器売却

ワールド

ナジブ・マレーシア元首相、1MDB汚職事件で全25
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指すのは、真田広之とは「別の道」【独占インタビュー】
  • 4
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 5
    「時代劇を頼む」と言われた...岡田准一が語る、侍た…
  • 6
    「衣装がしょぼすぎ...」ノーラン監督・最新作の予告…
  • 7
    「個人的な欲望」から誕生した大人気店の秘密...平野…
  • 8
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    ノルウェーの海岸で金属探知機が掘り当てた、1200年…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツよりコンビニで買えるコレ
  • 4
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 5
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 6
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 7
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 8
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリ…
  • 9
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 10
    懲役10年も覚悟?「中国BL」の裏にある「検閲との戦…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 8
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 9
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 10
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story