インド人をとらえ、縛り付ける「鳥籠」

そこで、筆者の頭にすぐに思い浮かぶのが、2008年度のブッカー賞を受賞したアラヴィンド・アディガの小説『グローバリズム出づる処の殺人者より』のことだ。

その物語は、テクノロジーとアウトソーシングの中心地バンガロールに住む起業家の主人公が、インド訪問を控えた中国の温家宝首相に宛てた手紙というかたちで綴られていく。その中身は、自分の主人を殺すことによって起業家として成功を収めた男の告白だ。

主人公はその手紙のなかで、インド一万年の歴史のなかで最大の発明を"鳥籠"と呼び、逃れられない運命を背負った人々を、市場に置かれた金網の籠に押し込まれた鶏に重ねている。

「こんなにわずかの人間がこんなに多くの人間をこんなにこき使うのは、人類の歴史でも初めてのことです。温首相。この国では、一握りの人間が残り九十九・九パーセントの人間をあらゆる面で強力に、巧妙に、狡猾に教育して、永遠の奴隷にしたてあげてきたのです。その奴隷根性のすさまじさたるや、自由への鍵をわたしてやっても、悪態とともに投げ返されるほどです」

この鳥籠が機能するのは、インド人の愛と犠牲の宝庫である「家族」が、籠にインド人をとらえ、縛りつけているからだ。そして、その籠から抜け出すためには、家族がみな殺しにされても平気な人非人であることが求められる。だから、この鳥籠さえあれば、独裁政権も秘密警察も必要ない。

インドの不平等の特殊な性質

ジャインの『人間機械』は、こうしたことを踏まえてみると、インドの不平等の特殊性と深く結びついていることがわかる。筆者がまず注目したいのは、労働者たちの発言だ。工場の様々な作業について説明する労働者は、最初にこう語る。

「神から手を授かった。だから労働は義務だ。工場は労働の場だ。誰もが12時間働く」遠方から出稼ぎに来ている労働者も貧困の現実を受け入れているように見える。

「誰かに搾取されてる訳ではありません。俺がここに来たのは、子供を育てるのに必要だからです。無理やり働かされていたら搾取でしょうけど、そうじゃない。俺は1600キロも旅してここへ来た。そして職を手にいれた。自分の意思で、強制ではない」

給料に不満を抱きながらも妥協を余儀なくされている二人組の労働者の言葉は、先述した鳥籠に押し込まれて、互いにつつき合う鶏を連想させる。

「働きに見合わない賃金だから怒るんです。誰だってそうです。怒りには理由があるんです。でも社長への悪口は出てきません。仲間同士で怒りをぶつけていがみ合うんです。社長は来やしませんから。誰が社長でどんな事をしているのか何ひとつ知りません」

こうした発言と人間・機械・生地が三位一体となった現場の映像や音響が重なっていくとき、この映画は単なる繊維工場のドキュメンタリーではなくなっていく。

インドの現実