<被害者の存在が忘れ去られると犯人は仮釈放されやすくなり、遺族は永遠の闘いを強いられることに...。そんな思いを誰にもさせないためにできることとは?>

米カリフォルニア州サンフランシスコ周辺地域のSNSでは、強盗や家宅侵入のエピソードがよく投稿される。この種の犯罪は頻繁に起きるものではないが、その影響は長期にわたって続く。

1974年4月18日、私の兄フランク・カールソンは、サンフランシスコで起きた残忍な家宅侵入事件で殺害された。

兄を殴り殺した犯人のアンジェロ・パバジョーはその後4時間、兄の妻アネットを強姦し、拷問を加え、宝石を盗んだ後でそのまま彼女を放置した。そして犯罪の痕跡を消すため、家に火を付けた。

4月19日朝のことは、今もはっきりと覚えている。私は学校へ行く準備をしていた。

何が起きたのかを知ったのは午前7時頃。父は既に仕事に出かけていた。母は病院のボランティアに行くところで、身支度をしながらラジオのニュースを聞いていた。

両親の寝室から悲鳴が聞こえた。母はその時、ラジオで兄の殺害を知ったのだ。私たちはサンフランシスコ警察に電話して、事実を確認した。

私はショックと恐怖で現実から切り離されたような感覚になった。この日の記憶はぼんやりとしているが、あの瞬間のことは今でもよく覚えている。まるで映画の中にいるような感覚だった。

その後も全てがぼんやりとしていた。私たちは兄の妻アネットのために、毎日病院に通った。両親は刑事と個人面談を行い、数週間後に私は再び高校に通い始めた。

友人の多くは事件に強いショックを受け、私にかけるべき言葉を失っていた。それでも何人かは何を言うべきかを正確に理解していた。彼らとは現在も友人として付き合っている。

兄を殺したパバジョーは逮捕され、有罪を宣告され、死刑(さらに付帯犯罪について54年の禁錮刑)を言い渡された。

アネットは心身ともに深刻な傷を負ったが、何とか生き延びた。私はこの恐ろしい出来事を人々に伝えるため、ウェブサイト(justiceforfrank.org)をつくった。

あれから49年。事件に関わった警官や救急隊員は今も、これまで遭遇した中で最も陰惨な犯罪現場だったと表現している。

当時の私はまだ16歳だったが、それでも死刑が執行されないことは分かっていた。

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司法制度の壁は厚い
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