もちろん、デジタル化はすべての面においてメリットだけをもたらすわけではない。

本書によれば、省人化に伴う雇用減や、情報発信コストの低減に伴うフェイクニュース、さらには人工知能(AI)を活用して本物そっくりの虚構の動画を作成できるディープフェイク、あるいは大手ITプラットフォーマーによる寡占、デジタル監視社会といった課題も含め、新興国には先進国以上のダメージになるという。

伝統的な製造業という雇用基盤がないところでの省人化、信頼できるメディアが発展していないところでの情報社会化、小売りチェーンなど伝統的企業が未成熟なところでのプラットフォーマーの参入、民主主義が未熟な段階でのデジタル監視技術の導入によって、デジタル化の与える影響は先進国をはるかに上回る。

本書には「可能性もリスクもケタ違いになる」との印象的な惹句の帯が付けられているが、まさにこの言葉どおり、想像をはるかに上回る激変が起きているというわけだ。

新興国生まれのサービスを日本に還流させ、ルール作りにも参加する

本書は新興国がどのようにデジタル化しているか、それがどのような影響を与えるかについて、大きな見取り図を描く。だが、それだけにとどまらず、日本が新興国とどのように関わるかについて考察している点も興味深い。

戦後、日本と新興国の関係は4つの段階に分けられると本書は指摘する。

1:1960~1970年代の「南北問題の時代」においては、政府開発援助の提供者

2:1980~1990年代の「工業化の時代」においては、先進工業国として政府開発援助と直接投資の提供者

3:2000~2010年代前半の「市場の時代」においては、グローバルな生産ネットワークの拡大やインフラ投資、資源貿易の主導者

4:2010年代後半以降のデジタル化の時代

我々がいま身を置くデジタル化の時代、日本は新興国との関係において、どのような役割を担うべきかがまだ定まっていないという。

「工業化の時代」にはトヨタ生産方式に代表される先進的な管理方式を伝道し、「市場の時代」においてはいわゆる質の高いインフラの提供者として振る舞った。そうした日本の役割がいまだに不透明なままなのだ。

この課題について本書は「共創パートナーとしての日本」というアプローチを提言する。新興国の状況とそのデジタル化の進展に関心を持ち、学び、生み出された新たなサービスを日本国内に還流させること、新興国とともにデジタル化をめぐるルール作りに参加することが重要となる。

かつては教師として振る舞っていた日本が、今度は新興国から学ぶ立場になる。本書の提言に日本の衰退を感じる人もいるだろうが、この現状に目をそらさず向き合うことが求められている。


デジタル化する新興国――先進国を超えるか、監視社会の到来か

 伊藤亜聖 著

 中公新書

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[筆者]
高口康太

ジャーナリスト、千葉大学客員准教授。1976年生まれ。千葉大学人文社会科学研究科(博士課程)単位取得退学。著書に『幸福な監視国家・中国』(共著、NHK出版新書)、『プロトタイプシティ』(共著、KADOKAWA)、『中国S級B級論――発展途上と最先端が混在する国』(編著、さくら舎)、『現代中国経営者列伝』(星海社新書)など。

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