まず、『宣戦布告』の原作では、北朝鮮の武装工作員が敦賀半島に潜水艦で上陸し、同半島内に立地する原子力発電所三か所(敦賀原子力発電所、美浜原子力発電所、高速増殖炉もんじゅ)が敵工作員のロケット砲による攻撃の危機にさらされ、最終的に自衛隊との交戦によってこれを駆逐するという内容である(「3.11」よりはるか前に描かれたこの作品の、危機管理シュミュレーション描写の高さは特筆すべきものだ)。
しかし実写版の『宣戦布告』では、北朝鮮は「北東人民共和国」という架空の国家として描かれ、敦賀半島に立地する三か所の原子力発電所が危険に陥るという設定は存在していないし、日本の民間人の犠牲者の有無も変更されている。が、「北東人民共和国」が北朝鮮を指すことは自明のものとして映画演出上描かれ、敵武装工作員が敦賀半島に上陸して自衛隊と交戦するという作品の根幹をなす世界設定はまったく変更されていない。
「日本が敵国から武力攻撃事態を受けて、内閣をはじめ各部署が奔走する」というテーマの中に、映画版『空母いぶき』と映画版『宣戦布告』を並列させてみると、前者は0点かそれに近いくらい低く、後者は60~70点という感触を持つ。
映画版『空母いぶき』が、原作の世界設定ばかりか、かわぐちかいじ先生という作家の持つ系統的な「戦後日本」および「戦後日本人」への問いかけというテーマそのものがほとんど無視され、このような形で実写化されたことについて、筆者は改めてかわぐちかいじ先生の大ファンとして怒りに近いニュアンスを表明して本稿を脱稿するほかない。(了)
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

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