「正しいこと」を曲げられなかった証券マン
私にとってこれは笑い話ではない。一度「これが正しい」と思い込むとそれを曲げることができない性格は私にとって悩みの種でもあった。
小学校時代、道で硬貨を拾うと必ず交番に届けた。何度も通うものだから警察官とも顔見知りになり、「またキミか」と苦笑された。中学になると、授業中に騒いでいる不良グループが許せなくなり、番長格の生徒に「静かにしてくれないか」と直談判に行き、結果的にグループからリンチを受けた。
高校時代、万引きを繰り返していた同級生をクラブから外すよう顧問に進言した。彼の行ないは許せなかったし、規律を守るためには当然だと思った。しかし、彼がクラブから去ったあと、「これでよかったのか。別のやり方はなかったのか」と何度も自問した。正しいことをしたはずなのに、心のどこかで納得していない。私はそんな面妖な性格だった。(110ページより)
交番のエピソードは子どもらしく、かわいげがある。しかし大人になってからも同じで、「損得の問題ではなく、自分が“正しい”と信じたことを曲げられない、曲げたくない」性格のまま社会に出たのだという。
「近くにいたら面倒なタイプかもなー」と感じたりもしたが、そんな私個人の思いはともかく、組織内ではやはり浮いてしまいそうだ。
もちろん「モラル」という観点からすれば、著者が行なった内部通報は正しい。愛社精神があるからこそ、「よくなってほしい」という思いから、間違っていることを指摘しただけだ。
だが組織においては、その純粋さがときに仇となる。その一例が、保険の無資格販売が行なわれていることを社員組合に相談した結果、支店長から呼び出されることになったというエピソードだ。
「正義ぶるのもいい加減にしろよ。無資格販売だの代筆だの、そんなもの現場じゃ昔からやってきた。うちだけじゃなくて、野村も、大和も、どこでもやっている。おまえだけが気づいた問題じゃない。営業ってのはな、教科書どおりにやっていたら数字なんか作れないんだよ」
最初は大人しく山之下支店長の説教を食らっていたが、罵倒され続けるうちにだんだん我慢ができなくなった。
「赤信号みんなで渡れば怖くない、ですか?」
そのひと言が支店長の怒りに拍車をかけた。支店長は激しく机を叩いた。
「組合に告げ口して、何がしたい? 支店を潰したいのか? 同じ課の仲間を処分させたいのか? 青臭い正義感で自分だけ正しい顔をして、仲間を悪者にするな。まず結果を出せ。話はそれからだ!」
違法行為が問題なのではなかった。それを指摘した私が問題だったのだ。(117〜118ページより)
「どうしてまた余計なことを……」とヒヤヒヤさせられてしまう。他にもこうした騒動がたびたびあり、著者は少しずつ周囲から距離を置かれるようになっていくのだった。本当にイヤなやつならともかく、基本的には“超”がつくほど誠実な人なので、ひとごとながらエールを送りたくなってくる。
だが、やがて“会社に居場所を失った社員たちを集めて自主退職を促す”「お仕置き部屋」に移され、プライベートでは離婚を切り出される。
そして産業医からは、「ADHDの特性がある可能性が高い」と告げられる。さらには、問題を起こした者や上司と衝突した者が集められる「肩たたき部屋」に異動する。最終的には早期退職を勧められ、身を引くことを決意するのだった。
しかし転職活動はうまくいかず、飲食店のホールスタッフや設備管理会社などを転々とする。周囲とうまくやれず、「まじめだけれど面倒くさい人」と距離を置かれるようになったのだ。