Will Dunham

[15日 ロイター] - 古代ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスは紀元前20年、広大な帝国のあらゆる道路の象徴的な起点を示すため、フォロ・ロマーノに「黄金の里程標(ミリアリウム・アウレウム)」と呼ばれる金箔を施した道路元標を設置した。これらの道路は、世界初となる大陸規模の交通システムの「骨格」となった。

研究者らは今回、欧州、中東、北アフリカを縦横に結ぶ総延長約30万キロに及ぶローマ帝国の道路網について、詳細な構造分析を実施した。

その結果、「すべての道はローマに通ず」ということわざは必ずしも正確ではなく、後の帝国の首都コンスタンティノープル(現在のトルコ・イスタンブール)の方が、この格言により当てはまることが分かった。また、ローマ人は直線道路の建設を好んだものの、険しい地形のためにそれがかなわない場合もあったという。

研究チームはさらに、多くの地域において古代ローマの道路と現代の幹線道路との間に関連性があることを確認した。

卓越した土木技術者であり建設者でもあったローマ人は、南と東ではモロッコやアラビアの砂漠地帯から、北と西ではスコットランドや大西洋沿岸まで道路を整備した。これらの道路は航行可能な河川や海路と結び付けられ、包括的な交通ネットワークを形成していた。

15日付の科学誌ネイチャー・コミュニケーションズに掲載された研究を主導した一人で、デンマークのオーフス大学の古典考古学者トム・ブルフマンス氏は「このインフラによって広大な地域の結び付きが強まり、人、動物、病原体、物資、思想が大陸規模で広がる基盤が整った」と語った。

「ローマ軍団は脅威への対応や部隊の救援、新たな領土への入植のため道路を行軍した。初期のキリスト教のような革新的な思想も、人と共に陸路や海路で広がった。ただ、道路の最も一般的な用途は、農場と畑の間の頻繁な往来や、農産物を売るために地元の市場へ向かうことだった」

道路の中には、砕石や石灰セメント、砂利、敷石を組み合わせて建設された非常に耐久性の高いものもあった。交通の大半は徒歩の人や、馬、ロバ、ラバ、ラクダなどに乗る人々で、荷役用の動物や動物が引く荷車、馬車も利用された。

ローマからの距離は「黄金の里程標」を起点として測定された。だが、この古代の巨大都市は本当に道路網の中心だったのだろうか。

ブルフマンス氏は「すべての道はローマに通ずるのだろうか。実際にはそうではない」と指摘。「ローマは地中海の海上交通においては中心的な位置にあったが、ローマ道路網全体において特に中心的だったわけではない。我々は、属州都がそれぞれの属州内の道路網で極めて有利な場所に位置していたことを確認した。これは効率的な統治と税の徴収を容易にした」と述べた。

こうした属州都には、現在のトルコのアンカラ、英国のロンドン、ギリシャのコリントスなどが含まれる。

さらに同氏は「ローマ自体はイタリアのティレニア海沿岸の道路網では中心的な位置にあった。しかしイタリア半島全域での移動を考慮すると、最も中心的な道路は反対側のアドリア海沿岸に沿っており、ローマを完全に迂回していることが分かり、衝撃を受けた」と語った。

<新たな首都>

西暦4世紀初頭、皇帝コンスタンティヌスは首都をコンスタンティノープルへ移した。

ブルフマンス氏は「この新首都は欧州とアジアの接点という戦略的要衝に位置していた。研究の結果、帝国全域における陸上移動の観点では、ローマよりはるかに中心的な位置にあったことが判明した」と説明。「同市はボスポラス海峡沿いにあり、古代にはこの海峡を横断する渡し船が存在したことが分かっている。これによって欧州側とアジア側の道路交通が実質的に結び付けられていた」と述べた。

ローマの技術者たちは、道路を可能な限り直線にするためさまざまな道具や技術を用いていた。ローマ南方のアッピア街道はその代表例だ。

しかしブルフマンス氏は「ローマ人でさえ自然には逆らえなかった」と指摘。「道が直線的になるのは、ベルギーやフランス北部、イタリアのポー平原のように比較的平坦な地域に限られる傾向があった。全体として見れば、道路建設のために山を切り開くようなことはしなかった」と述べた。

こうした古代の道路は、476年の西ローマ帝国滅亡後や、1453年に東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が滅亡した後も多くが利用され続け、2000年以上にわたり数億人規模の人々の交流を支えた。

研究を主導した1人で、スペイン・バルセロナ自治大学のポストドクトラル・フェロー、アダム・パズート氏は、「ローマの道路網の持続性は、英国から近東に至る多くの地域で確認できる」と説明。「多くの場所でこれらの道路は中世を通じて主要な交通路として機能し、19世紀の鉄道、20世紀の幹線道路が発展するまで重要な役割を果たした」と述べた。

現代の幹線道路の多くは古代の道路ルートを踏襲している。

ブルフマンス氏は「好例が、スペイン南部のカディスからピレネー山脈まで延びるアウグスタ街道だ。この道路はタラゴナとバルセロナの間にある『ベラ凱旋門』の下を通っており、現代のN-340号線と明らかに同じルートをたどっていることが分かる」 と語った。

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