研究チームが2025年に発表した暫定報告書によると、この地では石灰岩が段階的に採掘され、その後、岩盤が整地されて再利用された。
デイリーメールによると、採掘でできた空洞の中には、土で埋め戻される前の深さが約6メートルに達するものもあった。これとは別にサピエンツァ大学の研究チームが植物考古学調査を行って4地点から採取した資料を分析した結果、穀類やイチジクなどの作物や野草の痕跡と一致した。さらに、オリーブ材や複数種の植物の花粉の痕跡も見つかった。
ある墓室については、2世紀にローマ皇帝ハドリアヌスの下で行われたエルサレムの再開発にまでさかのぼって調査した。当時はローマ時代の建造物によって墓室への入り口がふさがれていたが、約2世紀後のコンスタンティヌス帝の時代にその建造物が撤去されて墓室が周囲の岩から切り離され、ここはキリスト教の聖地となった。
サピエンツァ大学の研究チームが2023年に発表した報告書は、そうしたキリスト教時代初期の変遷を改めて裏付ける内容だった。考古学調査の結果、もともとあった教会の構造物の一部と、その下を通るローマ時代の道路が見つかった。この発見は、4世紀にコンスタンティヌス帝の聖堂が建造される前にこの場所がどう変わったかを探る手がかりとなった。
聖堂の建造は、コンスタンティヌス帝の時代にこの墓室がキリスト教の崇拝対象として選ばれたことを物語る。ただし、信者らがいつからそれを認識していたのかは分かっておらず、埋葬された人物は証明されていない。