「郷に入っては郷に従え」だけでは解決しない
これもまた、「なるほどな」と思わざるを得ない話だ。
しかも中国人にとってはマンションの自室を出たところは「外」という概念が強いとも著者は指摘する。だから極端な場合、ごみを捨てたり痰を吐いたりすることに躊躇がないともいえるという。
もうひとつ重大な点がある。彼らの行動の中には問題のあるものもあるが、それをおもしろおかしく、あるいは敵対的な表現を用いてSNSに拡散する人がいることだ。
何度も言うように、日本人の常識からすれば彼らの行動はときに異様だ。しかし彼らにとってそれは“ごく普通の行動”なので、それを日本人から咎められるのは気持ちのいいものではないだろう。
中国人から見れば、日本人は細かすぎ、気にしすぎ、どうしてこんな些細な事に腹を立てるのだと思う傾向も見られます。郷に入っては郷に従えとはよく言われますが、日本の生活習慣について、私たちもただ対立するのではなく、懇切丁寧に教え、相互の理解を進めていくことが大切です。(73〜74ページより)
重要なのはここだと思う。かくいう私も、先に触れたような“近所の中国人”たちのやることを決して心地よいとは思わない。「あのマンションがなくなってくれればなあ」と感じたこともある。
しかし、だからといって感情的に、あるいは日本人としての感覚だけを頼りに、「あいつらは異常だ」「不快だ」とか、(否定派の常套句である)「ここは日本なんだから、住みたいなら決まりを守れ」というような主張をしたところで無意味だ。なにしろ常識が違うのだし、どこで生きていくのも自由だからだ。
そもそも、振り返ってみれば日本人だって昔は相当マナーが悪かった。とかく昭和は美化されがちだが、あの時代は非常識な人もたくさんいた。著者も、そのことを指摘している。
思い起こせば、私の子供の頃の東京は、街を歩けば大人は平気で路上で痰を吐いていましたし、地下鉄には痰壺が常備されていました。夜中の繁華街では、立小便をする酔っ払いの姿はごく普通の光景でした。(74ページより)
「だから大目に見よう」という意味ではない。「だからこそ、歩み寄り、共存していくためにはどうしたらいいかを考えよう」ということだ。もちろん簡単に答えが出る問題ではないが、“こちら側”の尺度で糾弾するのではなく、「とりあえず考えてみる」ことが大切なのではないだろうか。
[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。他に、ライフハッカー[日本版]、東洋経済オンライン、サライ.jpなどで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)、『この世界の中心は、中央線なのかもしれない。』(辰巳出版)など著作多数。2020年6月、日本一ネットにより「書評執筆本数日本一」に認定された。
曖昧すぎる目標、敵国の軽視、自国軍事力への過信……長期化・泥沼化したベトナム戦争との共通点
