そのほかにも、2歳の娘を見ていてくれるようにお願いしたときに、けがをしても知らぬ顔......といったことが相次ぎ、指摘をしても改善が見られなかったために、子どもたちを安心して任せておけないと感じるようになった。

お風呂の後に着替えさせるといった「ちょっとした手助け」が必要なときにも、子どもたちも「ママがいい」となり、メイドさんはそれを言われるとすぐに諦めて自室にこもってしまう。子どもたちが15時半に帰ってきてからの子育てはほとんど私がやることになった。

こうした問題をどうにかするマネジメント力も器量も残念ながらこちらにはなかった。年間100万円をかけてのフルタイムのメイドさんを雇っているわりには仕事時間の捻出につながらない――。話し合いをし、結局円満にお別れをすることになった。

メイド経験が教えてくれたこと

「相手を尊重することと、ルールをきちんと決めて守ってもらうことは違う」というのは個人的な反省だが、いずれにせよ、家事は毎日依頼をするには結構なマイクロマネジメントが必要になる。それには向き不向きがある、というのが実感だ。

わが家はマイナートラブルで済んだが、金品を盗まれた、雇用主のプライバシーを近所に暴露された、うそをついて帰国してしまったなどのトラブルも頻繁に耳にする。何人もメイドを雇ってようやく相性のいい相手に出会ったという話も聞けば、シンガポール人夫妻でフルタイム共働きをしていても学童などを活用してメイドを雇わない、あるいは子育てはあくまでも親の役割でメイドには家事のみをお願いする、という家庭もある。

1年間メイドさんを雇って、やめることになったわけだが、気づかせてもらったなと思うこともいくつかある。

1つは、やはり家事は有償であり、誰かの役割として存在するれっきとした仕事だということ。わが家はメイドさんがいなくなることを機に、それでも家庭が回るのか話し合い、夫も自分が担う家事が増えることに同意をした。

今はシンガポール人の方にパートで掃除などを週1でお願いすることにし、それに月2万円程度をかけているが、月8万円-2万円の6万円がかからなくなった。結局日常的な家事の大半をやることになったのは私だが、その労働は私の頭の中では月6万円分。

「主婦の労働はいくらか?」という議論は半世紀以上前からされており、大ヒットドラマとなった「逃げ恥」とその原作の漫画でも議論が再燃したことが記憶に新しい。家事に割く時間に私が稼げる機会費用から換算すればまた違った計算になるが、フリーの物書きとして1日数時間が収入に直結するわけではなく、むしろ「外注したらいくらか、それを自分でやることで節約している」という発想で自分の月収に対する自己評価を6万円上乗せしてイメージするようになった。

メイドさんを雇って得た「気づき」