「燃え尽き」はインターネットと長時間労働が当たり前になった現代社会ならではの現象に思えるかもしれないが、ビクトリア時代のイギリスにも同様の概念が存在した。
それは「過労」という言葉で呼ばれていた。1873年に医師C・H・F・ラウスが発表した著書『過労と早すぎる精神の衰えについて』は、15年間で4版を重ねた。
呼び名こそ違うが、根底にある問題は現代とよく似ている。ビクトリア時代の過労は、イギリス帝国の拡大と工業化の進展、そして鉄道と電信という新しい通信手段の発達により、生活のスピードが目を見張るほど加速した時代に生まれた新しい現象だった。
ウィリアム・チェンバーズ『マントンで冬を過ごす』
当時の人々は、同時代の批評家トーマス・カーライルが言う「労働の福音」を熱心に信奉していたが、この新しい「信仰」が健康に害を及ぼす可能性があることもはっきり認識していた。しかしその半面、過労は男らしさの証拠、誇るべき勲章と位置付けられてもいた。
現代と同様に、当時の過労も主に知的労働者や専門職をさいなむ問題と見なされていた(その結果、過剰な負担を課されていた労働者階級には、ほとんど関心が払われなかった)。なかでも、とりわけ過労が懸念されていた職業の1つが医師だった。
前出の医師ラウスは、ゴールディング・バードという内科医の事例を紹介している。バードはラウスに対し、仕事を減らして毎年6週間の休暇を取るよう助言した。「そうしないと、私くらいの年齢になる頃には、開業医としては繁盛していても、死にかけの老人になっているだろう」とのことだった。
しかし、バード自身は医師として激務の生活を続け、ラウスと会話した数週間後に39歳で死去した。
当時のイギリスで、過労や病気に苦しむ専門職の人々に最も推奨されていた治療法は保養地に行くことだった。特にヨーロッパ大陸が好ましい滞在先とされていた。
1870年、スコットランドの出版人ウィリアム・チェンバーズが『マントンで冬を過ごす』という自著を刊行した。エディンバラの市長を務めた後、過労により健康を害した彼は、南フランスの地中海沿岸に位置するマントンで療養生活を送り、回復した体験を著作につづった。
この著書でチェンバーズは、マントンの美しい景観と青い空、穏やかな気候を絶賛し、生き方を見直すよう読者に呼びかけた。彼に言わせれば、「熱に浮かされたような、正気の沙汰でないと言っても過言ではない戦い」に敗れて墓穴に落ちる人があまりに多かった。
「人々はあまりに長時間、あまりに勤勉に職業生活に打ち込んでいる」
南フランスのマントンがイギリス人に最も人気のある保養地に
やがてマントンは、過労やその他の病気からの回復を目指すイギリス人に最も人気のある保養地になった。その過程で大きな影響を及ぼしたのは、医師ジェームズ・ヘンリー・ベネットによる『冬のマントンとリビエラ』『地中海沿岸の冬と春』などの一連の著作だった。
ベネットの作品が反響を呼んだ理由は、自身の回復体験の物語にあった。「ロンドンで働く医師として25年にわたって重労働と心労の日々を送り……生命力がめっきり衰えてしまった。1859年には肺結核を患い、病状の悪化を食い止めようと努めたが、功を奏さなかった」と、彼は記している。
ベネットは死を覚悟してマントンへ向かった。すると、温暖な気候の下で「(ロンドンでの)重労働と不安から解放されて」、驚くほど健康が回復した。それ以来、毎冬をマントンで過ごすことにし、自身の診療所も開設した。
こうして南フランスの海辺の小さな村だったマントンは、イギリス人居住区もある一大保養地に発展していった。
ベネットは「気候医学」と呼ばれた新しい医学分野の牽引役にもなった。気候医学では、気候のよい保養地で過ごせば結核など多くの病気を治癒できたり、少なくとも症状の悪化を食い止めることができると考えられていた。
こうした発想が生まれた一因は、工業化の進展によってイギリスの都市の空が息苦しいスモッグで覆われるようになったことにあった。冬の地中海の澄んだ空気と美しい空の下で過ごせば当然、呼吸器疾患は快方に向かうだろう。
ベネットの治療法は、当時としては革命的なものだった。病人はイギリスの暑苦しくて閉鎖的な病室を離れて、気候のよい保養地の丘陵を散歩し、太陽の光と澄んだ空気を全身で吸い込み、美しい自然を五感で満喫すればよい、というのだ。薬を全く使わない治療法である。
過労で苦しむ人たちに対し、ベネットは少なくとも3年間の冬を丸ごと保養地で過ごすよう勧めた。これは、18世紀に行われていた温泉保養地での短期滞在や現代の短期間の「ウェルネス旅行」とは次元の異なる処方箋だった。
ベネットは「正当な怠惰」の効用を説いた。ビクトリア時代の勤勉な専門職の人々に、「静かに物思いにふける時間」を過ごし、「病気で弱ったトカゲが日なたぼっこをする」みたいに太陽を浴びるよう勧めたのである。
ビクトリア英女王は、血友病を患う息子のレオポルド王子をマントンで療養させた。ロバート・ルイス・スティーブンソンやオーブリー・ビアズリー、キャサリン・マンスフィールドなど、多くの作家や芸術家たちもこの地を訪れて、異郷での療養生活で経験した喜びと苦しみを優れた作品として残している。
私は最近上梓した著書『治癒を求めて──保養地の文学と医療の文化』で、マントンのような保養地で療養生活を送った人たちの人生と治療法の変遷をたどった。彼らの歴史を振り返ると、過労などの症状を癒やす上で重要なのは「時間」だった。
ビクトリア時代の療養者たちは、都市の慌ただしさや不安を逃れ、保養地の自然が持つ癒やしの力に身を委ねた。「正当な怠惰」の日々を過ごすことで、のんびりした時間を取り戻そうとしたのである。
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Sally Shuttleworth,Professor of English Literature, University of Oxford
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