よし、今日は1日、TikTok(ティックトック)やインスタグラムの食レポ(レストランのレビューなど)を徹底してチェックしよう(もちろん仕事のため)。そう決心してから4時間ほどたった頃、またfire(絶品)という語が出てきた。200回目だ。

その映像ではジャクソンビル・ジャガーズのTシャツを着たインフルエンサーの男がレストランの外で、カリカリの骨付きフライド・チキンにかじりつき、perfection(完璧)とうなっていた。これもまた動画付き食レポによくある意味不明な感嘆表現の1つ。game changer(人生変わる)とか、to die for(死んでもいい)、incredible(信じられない)とかの同類だ。

東京で大トロの握りにかぶりつき、ついに「人生変わる」体験をしたという女性は、目を丸くしてWow(ワオ)と一言つぶやいた。分かるよ、と思う。でもそれは、画面に脂の乗った艶々マグロのお姿が見えたから。至高の美味と素敵な文章を同じくらいに愛する私としては、「ワオ」だけじゃない感想が欲しかった。

食に関する長文のエッセーや評論は、もう時代遅れなのかもしれない。想像力に訴える言説より、今は一発で感覚を刺激する「ワオ」がいい。

でも、それでいいのか。数年前に57歳の若さで死去した美食エッセイストのジョナサン・ゴールドが、生きたエビを食した体験を記した文章の一節を読んでほしい。

「生まれてこの方、数え切れないほどの生き物を食べてきた。子羊を屠(ほふ)るのも見た。無数のソフトシェルクラブの顔を剝いだ。釣った魚を殺して食った。それでまあ、肉を食らうには殺さねばならぬという現実を受け入れ、わが身を養ってくれた動物たちには感謝してきたつもりだ。が、自然界の最高に基本的な公理の1つに向き合うのは初めてだった。『おまえは生き、おまえの餌は死ぬ』という疑問の余地なき事実だ。食らうには、まず生きた肉をかみ切らねばならぬ。誰にも頼らず、矢も鉄砲もナイフも使わず、自分の歯で……」

「私はかみつき、口いっぱいに広がるその甘みを堪能し、命の奔流がそいつの体から私の体に移るのを感じた。その瞬間、そいつの感覚が麻痺し、その目が空っぽになるのを見た気がする。妙に素朴で息をのむほどうまかった。でも二度とやりたくない」

ふう。この読後感こそ「ワオ」でしょう。

言葉より絵、そして音