「戦争に訴えるのは、いかなる種類の戦争であれ、本質において犯罪的な手段に訴えることに等しい」。ニュルンベルク裁判でアメリカの首席検察官を務めた米連邦最高裁判事ロバート・ジャクソンは、冒頭陳述でそう断じた。侵略戦争を国際犯罪と位置付けるこの言葉は、過去の国際法秩序への決別を告げるものだった。
その点でニュルンベルク裁判は一つの革命だったが、それは「侵略というパラダイムの勝利と同時に終焉を画すものであった」とダグラスは記している。勝者である連合国側が「侵略」という犯罪の定義について合意できず、最終的に定義そのものを避けたからだ。ナチスの侵略戦争がもたらした残虐行為のスケールと「とてつもない特異性」は一目瞭然のため、特段の定義がなくても裁判は進められる。当時はそんな空気があったとされる。
以来、「侵略」という概念は曖昧で、政治的に扱いにくいものとなった。56年には早くもイスラエルがフランスとイギリスの支援を受けてシナイ半島に侵攻し、ソ連軍はハンガリーに乗り込んで反乱を鎮圧した。それでも国連の安全保障理事会は、どちらに対する非難決議も出せなかった。45年の国連憲章は侵略行為を禁じていたが、各国がその定義に合意したのは2010年のことだ。
しかし一方で、別の種類の国際法が芽生え始めていた。ニュルンベルク裁判では人道に対する罪は軽視されたが、ナチス幹部に対する他の裁判では有罪判決が出ていた。イスラエルで裁かれたアドルフ・アイヒマンは死刑に処された。フランスで裁かれた「リヨンの殺し屋」ことクラウス・バルビーは終身刑になった。
これらの裁判では被害者サイドの証言に焦点が当てられ、人間の苦しみが浮き彫りにされた。そしてホロコーストはナチス・ドイツという「犯罪国家」における究極の犯罪と位置付けられた。ちなみに犯罪国家という体制の犯罪性は、法を逸脱した権力の乱用ではなく、法そのものを利用して人々を支配し、絶滅させようとする点にあるとされた。
こうして世界中の裁判所が、残虐犯罪に関する判例を蓄積していった。だが、その道は平坦ではなかった。裁判は当事者の住む場所から地理的にも文化的にも遠く離れた場所で行われた。審理はたびたび妨害され、資金不足に悩まされ、とにかく時間がかかった。
記事の続きはメディアプラットフォーム「note」のニューズウィーク日本版公式アカウントで公開しています。
【note限定公開記事】世界はなぜ侵略戦争を裁けなくなったのか?【後編】
ニューズウィーク日本版「note」公式アカウント開設のお知らせ
公式サイトで日々公開している無料記事とは異なり、noteでは定期購読会員向けにより選び抜いた国際記事を安定して、継続的に届けていく仕組みを整えています。翻訳記事についても、速報性よりも「読んで深く理解できること」に重きを置いたラインナップを選定。一人でも多くの方に、時間をかけて読む価値のある国際情報を、信頼できる形でお届けしたいと考えています。
イランが有利に見える14項目の覚書にはアメリカとの「談合」が隠されている