<なぜそんなことを言ってくるのか。貧困家庭の子は「生まれてきてはいけなかった」存在で、進学やあらゆる人生の選択肢をあきらめなくてはならないのか。貧困家庭出身の女性ライターが「可視化したい」ものとは>

貧困をテーマにした記事が公開されると、多くの人から理解を得られる一方で、目も当てられないようなコメントがたくさん付く。しかし、無理解の根源は、悪意よりも、単にごく身近に困窮している人がいないことからくる無知にあるのかもしれない。

地方の貧困家庭に生まれ育ち、現在はライターとして活躍するヒオカ氏が、初の著書『死にそうだけど生きてます』(CCCメディアハウス)を出版した。

制服が買えなかったこと、1円の中古で買った参考書で独学し大学受験に挑んだこと、大学に入ってからもパソコンを買えず、劣悪な環境のシェアハウスを転々とせざるを得なかったことなど、個人の半生を通して見えてきた社会をエッセイ仕立てで書いた。

「貧しければ部活動や習いごと、進学が制限されるのは当たり前だ」。時にそんな言葉を投げつけられながらも、ヒオカ氏はなぜ書き、発信を続けるのか。

――ニューズウィーク日本版ウェブ編集部

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貧困家庭の子である私は生まれてきてはいけなかったのか?

「貧乏なら子どもを生むな」

「ちゃんと親が働かないからそうなるんだろう」

「この人の体験を、貧困なら子どもを生むなという啓蒙に使おう」

私が貧困家庭で育った体験について書く度、こんなDMが送られてくる。その度に、なぜ、子どもの立場である私に、わざわざそんなことを言ってくるのだろう、と複雑な気持ちになる。あまりに何度も言われると、遠回しに、生まれてくるべきではなかった存在なのだ、と言われているような気さえしてくる。

「(子どもを)生んじゃいけない人が生んだから、そんなことになるんでしょう」

これもまた、本当によく言われる言葉である。

子どもが生まれてくる環境は、できるならば整っていたほうがいいだろう。養子縁組や里親制度で親となる人の適性や養育環境が見られるように、本来、子どもが生まれ育つための最低限の条件はあるべきなのかもしれない。しかし、予測不可能なことは起こりうる。

私の父親は、私が生まれた後、働けなくなった。それまでは正社員で、それなりに収入を得ていたという。ところが、第二子である私が生まれた後、我が家は一気に困窮したのだ。

このように子どもが生まれてから、たとえば事故や怪我、障害、病気などで働けなくなることは、誰にでも考えられることだろう。そして、親が経済的に安定しない中、予期せぬ妊娠などで生まれてくることだってあるだろう。

「貧困なら子どもを生むな」と言っても、きっと生い立ちゆえに様々な困難を背負う子どもはいなくならない。本当は生まれてくるべきじゃなかったなんて言葉に、生い立ちを選べない子どもはさらに追い詰められる。どんな状況で生まれても、衣食住・教育・医療といった最低限の生活が守られる社会にすることが大切だと私は思う。

貧困への無理解は悪意よりも無知から起きる