「なぜ働かない親の家庭のために、税金を使わないといけないんだ。不公平だ」

「貧しければ部活動や習いごと、進学が制限されるのは当たり前だ」

そうした言葉を投げかける人たちは、選ぶことができない生い立ちによって、塾に行けず、習いごとはもちろん、お金がかかる部活さえさせてもらえない、進学を許してもらえない、そんな現実の中で生きなければならないどうしようもない悔しさを経験したことがないのだろう。

私が発信を続けていて感じることは、声が大きい人、社会のシステムを作る側の人には、圧倒的にネイティブ強者が多いということだ。

政治家を見れば、世襲で一度も貧困を経験したことがないという人は少なくない。有名私立一貫校から官僚に、というのもよく聞くケースである。またマスコミ、もっと言えば記者という仕事は、社会のエリート層が多い職種である。出版業界も、特定の有名私立大学の出身者が多かったりする。

もちろん例外だってあるだろう。しかし、全体的に見れば、生まれながらの強者はエスカレーター式に社会の強者になっていく。そして、隔絶された空間を、社会全体だと思って生きていく。

この世は分断され切っている。

そんな強者によって作られた社会は、時に弱者には生きづらい。見えない貧困はないものにされて、社会の初期設定に組み込まれていない。極度の貧困は想定されておらず、必要な支援は届かない。

学歴がないと就活で不利になるが、進学するお金がない。

体が弱いが、病院に行くお金がない。

虐待やDVから逃れたいが、一人暮らしするお金がない。

住所がないから、いろいろな手続きに支障が出る。

私は可視化したい。

そんな社会からこぼれ落ちる人たちの存在を。

普通の人が手にする当たり前が、手に入らない世界から見える景色を。

そんな思いから、今も発信を続けている。

死にそうだけど生きてます

 ヒオカ 著

 CCCメディアハウス

(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)