<東京五輪が閉幕した。バッハIOC会長と橋本聖子・東京大会組織委会長の長すぎる演説に途中退場した選手たちだけでなく、閉会式の内容に違和感を覚えた国民も少なくなかったようだ。消化不良の閉会式は、今大会と日本社会が抱えたある問題を象徴していた>

東京五輪が終わった。昨日8月8日に行われた閉会式は、宝塚歌劇団による国歌斉唱やソプラニスタ岡本知高氏によるオリンピック賛歌独唱など、個々の演目に素晴らしいものがあったが、閉会式全体の感想としては、多くの人が程度の差はあれ消化不良だったと感じ、あるいは違和感を覚えたのではないか。中には失望を抱いた人もいるだろう。

閉会式のコンセプトは「Worlds we share」(一人ひとりの持つ異なる世界を共有しあって生きていること)だとされており、ダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(包摂または調和)が重視されていた。そのこと自体は良い。

しかし、閉会式全体を通してみると、両者のバランスが取れていないことが消化不良を感じた根底にあるようにも思われた。敢えて言うとダイバーシティの主張が過剰で、「あれもこれも」という小粒の演出が目に付き、式全体の統一的イメージが誰にもシェアされていない感があった。これは開会式の演出にも感じられたことだ。

開会式の直前には、過去の「障碍者いじめ自慢」と「ホロコースト揶揄コント」が批判を浴びて、音楽担当者が辞職し演出担当者が解任された。そのことによる演出計画全体の混乱もあったであろう。

また、五輪エンブレム問題に始まり、招致活動における利益供与疑惑や女性蔑視発言による組織委会長辞任に至るまで、これほど多くのコンプライアンス問題に見舞われた大会はない。

「応答感度の鈍麻」を露呈した大会

コンプライアンスは今では、法令遵守に限らず、社会的要請への応答と理解されている。例えば日本では、ホロコーストを揶揄するような表現活動をしたからといって直ちに法令に違反するとは限らない(ドイツ等では別だが)。しかし、社会的文脈の中で批判を浴びて、組織または個人がダメージを受ける事態が生じうる。これは法令違反の問題ではなく、社会的要請への応答に失敗したということを意味する。今回の事案はコンプライアンス問題の典型だ。グローバル社会を相手にするのであれば、応答感度の鈍麻は深刻な問題なのだ。

「インテグリティ」の構築が追いつかない
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