では、新設される国家親衛軍は従来の国内軍とはどのように違うのか。前述の大統領令によると、今後、連邦国家親衛軍局という行政機関が内務省から独立して設立され、国内軍は同局の管轄下に移管されることになるという。さらに、同じ内務省管轄下であっても、国内軍ではなく警察に属していた特別任務機動隊(OMON、概ね日本の機動隊に相当する鎮圧部隊)、警察特殊部隊である迅速反応特殊部隊(SOBR)、内務省航空隊、内務省系列の国営警備会社「オフラナ」も国家親衛軍局の管轄下となる。
いうなれば、内務省には主として純粋な警察組織が残され、強力な武装組織は国家親衛軍へ集約されるという構図だ。連邦国家親衛軍局長官は国家親衛軍総司令官を兼ね、国家安全保障会議の常任委員となるから(国内軍総司令官は国家安全保障会議に席を有しなかった)、国防大臣や内務大臣とも同格ということになり、政治立場も大きく格上げされる。初代長官兼総司令官にはこれまでの国内軍総司令官であったヴィクトル・ゾロトフ上級大将が任命された。
以前にもあった国家親衛軍構想
では、国家親衛軍を設立したプーチン大統領の思惑とはいかなるものだろうか。
実は国家親衛軍設立の話はプーチン政権の初期から繰り返し持ち上がっては消えてきた経緯がある。たとえば2002年には、国内軍の地域機構を3個地域コマンドと2個地域司令部の5個体制として当時の軍管区と一致させるとともに、国内軍を国家親衛軍に改組する動きが見られた。
この構想を主導したティホミロフ国内軍総司令官(当時)によれば、当時、国内軍の主任務はチェチェンでの治安作戦であり、これに国内軍を最適化させることが国家親衛軍設立の主眼であった。
ここで重視されたのは、国内軍を軍と警察のちょうど中間的な組織へと再編することである。具体的には、それまで国内軍が担っていた刑務所の警備など司法関連の任務は法務省へと移管する一方、過度な重装備や軍隊並みの重編成は改めて対テロ戦や掃討作戦に向いた小型・軽武装の編成へと移行するとともに、人員を17万人まで削減すること、さらに徴兵主体の人員構成を志願兵主体へと移行させることなどが主な課題としてあげられた。
この構想は部分的には実現したものの(司法関連任務の分離や小型編成への移行など)、国家親衛軍を内務省の管轄下に残すのか独立させるのかを巡って議論は紛糾した。ティホミロフらは国家親衛軍を内務省から独立させることまではせず、あくまでも内務省管轄下での再編を主張したのに対し、プーチン大統領に近いFSB(連邦保安庁)は国家親衛軍の独立を主張していたとされる。また、FSBはそもそも新たな治安機関が出現することを歓迎していなかったという話もあり、詳細ははっきりしない。いずれにしてもソ連時代以来の軍事組織の構成を変化させるという大事だけに話はまとまらず、結局は沙汰止みとなった。