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ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々

新町智哉|ミャンマー

ミャンマーで起きたいくつかの小さな奇跡たち

仕事場からの帰り道の様子:筆者撮影

おはようございます。
1027作戦、1111作戦と軍事作戦が続くミャンマーです。
ヤンゴンでは変わらず生活を送っていますが、同じ国の中で大規模な戦闘が起こっているのかと思うと不思議な感覚に陥ります。
さて、そんな中ではありますが、今月最後の寄稿という事でひとつ、肩ひじ張らない話をお届けしようかと思います。
肩の力を抜いて読んでいただけたら幸いです。

これまでミャンマーに関わる文章を100万文字以上書いてきたので恐らくどこかでは書いたり話したりした事がある話だとは思いますが、ミャンマーに来て9年の中であった色々な小さな奇跡をいくつか紹介していきたいと思います。

一つお知らせです。
毎週水曜日に「ミャンマー言いたい砲台ラヂオ」という番組を配信しております。
その番組が100回を超えたということで記念企画として有料記事を販売させていただいています。
MC二人がそれぞれエッセイを書きました。
冒頭の3000文字超を無料公開しております。
是非とも読んでいただきたいです。
よろしくお願いします。

1.jpg

それでは本題です。
先ずは2014年の私の体調に関する小さな奇跡から。
実は当時、私はかなりの腰痛持ちで生活に支障が出るレベルでした。
コルセットを腰に巻いた上で朝、昼、晩と鎮痛剤(ロキソニンなど)を飲んでようやく普通に生活が出来るといった具合です。
初めて腰痛が出始めたのは25歳くらいのころ、病院などに行って一度は収まったのですが、30歳の頃に再発。
少しずつ悪化していき、ミャンマーに来る前に、ピークは越していた感じですが、それでも薬が手放せない位でした。

ところが、ミャンマーに来てから3カ月程経った頃だったと思います。
いつもより調子が良かったので薬の量を減らしてみました。
そこから3カ月、徐々に薬が減っていき、半年位経った時にはどうしても痛い時にだけ飲むという具合になっていました。
この時もまだコルセットはずっとしていたのですが、基本薬がいらなくなった頃に思い切ってコルセットを外して生活してみました。

最初は違和感があったもののしばらくすればコルセット無しでも生活が出来るようになりました。
それまで長年悩まされ続けた酷い腰痛は一体なんだったのか?
一時は医者に「どうしてもならもう切るしかない」と手術の話が出た位だったのに、なんと原因不明で治ったのです。
今でも腰に全くの不安が無いと言えばウソになりますが、それでも最悪の時を思い出したら自分的にはもう腰痛は無くなったも同然の生活をしています。

ミャンマーの水が合ったのか空気が合ったのか?
どちらも決して綺麗だとは言えないの未だに原因はよくわかりませんが、暖かい国であるという事はやはり良かったのかもしれません。
腰痛持ちの皆さん、ミャンマーで静養するというのはアリかもしれません。

身体に関する小さな奇跡はもう一つ、ミャンマーに来てから2年経ったくらいだと思います。
何気なく社員のみんなと慎重を計っていたら40歳を前にした中年真っ盛りの自分の身長が伸びていたのです。
僅か数ミリではありますが、この歳であれば縮んでいてもおかしくないのに伸びているという結果に随分おどろきました。
これも暖かい国というのは関係があるかもしれません。

次の奇跡、コレも自分的には凄く驚いたのですが、ヤンゴンでホタルを観たのです。
ホタルというのは日本でも田舎の方で空気や水が綺麗なところで生息しているイメージなのでまさかヤンゴンにいるとは夢にも思いませんでした。
そして、後にも先にもホタルを観たのはその一度きりなのでミャンマーで観る事は可能だとしても凄く貴重な体験だったのかもしれません。

S__31883303.jpg

因みに、その時ホタルを観るという奇跡体験を一緒にした女性が今の奥さんだったりします。
ホタルを見つけたのも彼女でした。
何ともロマンチックな話だなと我ながら思ったりします。

そして、ミャンマーは関係ないのかもしれないですが、今年の上半期に起こり間違いなく今年一番の奇跡は自分の歌のキーが3つ程高くなったことです。
世代じゃない人はピンとこないかもしれません。
調子が良い時はBon Jovi -のLivin' On A Prayerが歌えます。
因みに一番高い音はD#5(高いレのシャープ)です。

本当に個人的な話で恐縮なのですが、20年以上前、私は歌手を目指して毎日何時間も歌っていました。
自分が尊敬する歌手のように高い声が出せるようになりたくて、口の中に血の味がするまで歌ってでも求めていた音の高さが実はこの高さなのです。
当時の歌の師匠などに、恐らくお前はもっと高い声が出るハズとは言われていたのですが、二十歳の私はその壁を超える事ができませんでした。

それが何故かミャンマーで、そしてこの歳になって当時の限界をある日突然何の前触れも無く超える事が出来た意味を今も考えています。

いかがでしたでしょうか?
恐らくこれを読んでいる皆さんにとっては「そんな話聞かされても」というような事ばかりだったとは思います。
しかし、どれも私にとっては大きな大きな出来事でした。
これらが全てこのミャンマーで起こったという事は全て偶然のようで偶然ではないのだと感じています。

この他に、良い事も悪い事も含めて奇跡的な事が沢山起こり過ぎているからです。
ミャンマーの地で数々起こった奇跡の意味をこれからの日々で少しずつ解き明かしていけたらと思います。
そして、この後また起こるであろう様々な奇跡を楽しみに待ちたいと思います。

大きな大きな縁があり、日本からこのミャンマーに呼ばれたのだなと感じる事があります。
海外は何か国か旅行した程度で、住んだことなど一度も無かった私が、何故かミャンマーに来て9年。
まだまだ興味は尽きません。
更に歴史の転換点をこの国で迎えるべく今後も頑張っていきたいと思います。

これからもミャンマーと私の活動に注目していただけたら幸いです。

それでは、また。

 

Profile

著者プロフィール
新町智哉

映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。

Twitter:@tomoyangon
Instagram:tomoyangon
note:https://note.com/tomoyaan

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