VOICES コラム&ブログ
BLOG ブログ

ワールドカップ「退屈」日記

歩いて楽しいヨハネスブルク

2010年06月29日(火)03時43分

 ヨハネスブルクは広い。だだっ広い。1週間いたくらいでは、とても全貌がつかめない。

 手っ取り早く理解するには、南北に分けて考えればいい。ヨハネスブルク駅に近い南の中心部は、黒人が圧倒的に多い。北の郊外は白人の世界だ。高級ホテルや邸宅が立ち並び、高い塀が続く。人が歩いているのはショッピングモールだけといっていい。

 「ヨハネスブルクは危険」と言われるとき、たいていは黒人の多い南のエリアを指している。その南を歩いてきた。案内役はこの人、プロフェット氏である。いい感じでしょ?

sized1-プロフェット1.jpg

 彼は地元のアートプロデューサーで、詩人でもあるという。とても感じのいい人で、頭もよさそうだ。でもいくらペンネームとはいえ、プロフェット(預言者)というのはどうなんだろうと思わなくもない。

 彼ともともと知り合いだったわけではない。これはある団体が企画したツアーなのだ。その名も「ヨハネスブルク・アドベンチャー・ツアー」。アドベンチャーという言葉にはかなりの皮肉が込められていて、「たいていのガイドブックが『行くな』と言う場所がどれだけ活気に満ち、どれだけ楽しいかを体験する」という主旨だ。送迎の車があるわけではない。基本は「歩き」で、必要なときは公共の交通機関を使う。

 プロフェットは北の郊外のローズバンクにある僕のホテルに迎えに来て、近くのミニバスタクシーの乗り場に連れていった。まず向かったのは、アレグザンドラという旧タウンシップ(黒人居住地)。高層ビルが立ち並ぶビジネス街のサントンから東に5〜6キロ行っただけで、風景が一変する。

sized2-アレクザンドラ.jpg

 アレグザンドラには約75万人が住んでいるという。白人政権の時代には、同じタウンシップのソウェトと並んで、反アパルトヘイト闘争の拠点になっていたらしい。

 アレグザンドラからミニバスタクシーで、南へ行く。おそらくミニバスタクシーは、南アフリカで最も利用されている交通機関だ。15人乗りくらいのバンで、満員になるとけっこう窮屈である。中はこんな感じだ。

sized3-ミニバスタクシー.jpg

 ちょっと驚いたのは、運賃を払うシステムだ。料金箱があるわけではなく、乗客が手渡しリレーをして運転手に届けていく。

 たとえば、料金5ランドのミニバスに3人で乗ったとする。運賃の合計は15ランド。20ランド札を前の座席にいる客に渡して「3人分」と言う。渡された客はさらに前の客に渡し、その客がさらに前に渡す。こうして運転手の手に届く。

 今度はお釣りの5ランドが手渡しリレーされる。運転手がすぐ後ろの乗客に渡し、後ろへ後ろへと送られて、手元に届く。乗客もミニバスの運営にひと役買っているわけだ。

 ミニバスを降りたのは、ヒルブロウというエリアだ。日本語のガイドブックにはこの街の記述自体がなく、英語のガイドブックにも「ヨハネスブルクでも最も危ないエリア」という意味のことが書かれている。でもプロフェットに言わせれば、「バーやクラブが24時間やっている眠らない街」ということになる。

 道端の壁に小さな紙がたくさん貼られている。広告である。いちばん目立つのは、部屋の賃貸やルームシェア希望の広告。「当方、シングルの女性。清潔な1ベッドルームの物件を探しています」というようなあれである。外国の新聞には、この手の個人広告を載せる欄があったりするが、ヨハネスブルクでは街角の壁がその役割を果たしているようだ。

sized4-広告.jpg

 ヒルブロウから東へ歩き、ベレアというエリアに入っていく。このあたりには白人もいないが、東洋人はもっといない。だから歩いていると、「チャイナ!」と声がかかる。「ノー、ジャパン」と訂正するだけではつまらないので、「ニッポン! チャチャチャ!」と返すことに決めた。

 でも、たまに「コリアDPR!」という声も飛んでくる。このワールドカップでの北朝鮮の呼び名である。どうしてなんだろうと、プロフェットに聞いてみた。北朝鮮は王者ブラジルを相手に大健闘したから、このあたりでは多くの人が応援していたのだそうだ。

 「僕の写真、撮ってよ」という声もかかる。英語だと "Shoot me" だから、「僕を拳銃で撃って」と聞こえなくもない。

 下の写真の4人組も "Shoot me" と言ってきた。カメラを向けると、こんなふうにポーズをとってしまった。4人が並んで、上から僕をただ見下ろしている絵柄のほうが面白かったのだけど。

sized5-公園.jpg

 左端で思いきりポーズをとっている子が、こんなことを言った。「タクシーなんか乗らないで。パブリック・トランスポート(公共の交通機関)のほうが、ジョーバーグのことがわかるんだから」。ジョーバーグとはヨハネスブルクの愛称である。

 ベレアからさらに東へ歩き、ヨービルへ入る。「僕んちに行こう」と、プロフェットが言う。彼のアパートへ行く途中の原っぱで、丸く輪になって歌っている人たちがいる。プロフェットに聞くと、ゴスペルだという。

 プロフェットのアパートは、とてもおしゃれだ。部屋に入ると、床はフローリングで、壁は本棚で埋まっている。彼はこのアパートに、地元のヴィッツ大学で移民研究を教えるドイツ人のガールフレンドと住んでいる。アーティストやメディア関係者が多いアパートだそうで、ワールドカップの会場の1つであるエリス・パークがすぐ近くに見える。

 アパートを出て、ヨービルのメインストリートを歩く。ごくごく普通の商店街なのだろう。歩いていると、プロフェットはよく知り合いに出会う。これが本当によく出会うのだ。話の中身はよくわからないが、最後にはこぶしを合わせて挨拶している。

 「たくさん知り合いに会いますね」と言ったら、「僕はこのあたりで有名人だからね」とプロフェットは答える。本当かどうかはわからない。街の感じから察するに、このあたりで知り合いに出会う頻度は、有名だろうか無名だろうが同じようなものかもしれない。

 プロフェットの行きつけのクラブ「ハウス・オブ・タンドール」へ行く。2階のテラスに、黒人のヒーローたちを描いた壁画がある。なかなかかっこいい。ヨハネスブルクの若い人が使う言葉でいえば、"cool" で "sharp" な感じだ。

sized6-壁画.jpg

 右上はレゲエの神様、ボブ・マーリー。左下は言うまでもなく、ネルソン・マンデラだ。マンデラの右上に大きく描かれているのが、スティーブ・ビコ。「黒人意識運動」というムーブメントを始めた活動家で、刑務所内で受けた拷問によって、1978年に31歳の若さでこの世を去った。ヨハネスブルクではビコの写真やイラストを本当によく目にする。

 ハウス・オブ・タンドールからタクシーでちょっと南へ下る。着いた先は文化複合施設の「アーツ・オン・メイン」。ギャラリーやアート関連のオフィス、アート系の書店などが入っている。1900年代に建てられた倉庫をリノベートしたそうで、ニューヨークのソーホーあたりにありそうな施設だ。プロフェットはここにオフィスをもっている。下の写真はギャラリーの1つ。

sized7-ギャラリー.jpg

 ガーデンにはレストランもある。スタッフが急がしそうで、サービスが遅かったけれど、なかなか居心地のいいスペースだった。

sized8-レストラン.jpg

 再びミニバスタクシーに乗って、ヨハネスブルク駅の西にあるニュータウンというエリアへ行く。人類の起源をテーマにした「オリジンズ・センター」や、科学博物館の「サイボノ・ディスカバリー・センター」、文化の殿堂「マーケット・シアター」などが集まるカルチャーの中心地だ。道路もこんなふうにアートな感じでキメている。

sized9-ニュータウン.jpg

 ツアーはここで終わる。プロフェットはホテルに戻るタクシーを拾ってくれようとした。でも小さなマーケットを見つけたので、彼とはここで別れてもう少し歩くことにする。

 雑貨や工芸品、Tシャツなどが安く売られている。ホテルに近いショッピングモールにあるのは、高級ブランド店や、サッカーのシャツをずらりと並べたスポーツ店ばかりだから、こういうのを見るとほっとする。スティーブ・ビコのTシャツがあったので値段を聞くと、100ランド(約1200円)。10ランドまけてもらう。

 近くにとまっていたタクシーを拾い、ホテルに戻る。朝8時半に出て、帰ったのは6時過ぎ。なかなか楽しかった。足がけっこう疲れている。

 ベッドに横になり、今日歩いたエリアを「復習」するために手元のガイドブックを開くと、こんな文章に出くわす。

 「ヨハネスブルクの中心部へは、決して興味本位で行ってはいけない。また、中心部以外のエリアであっても、現地をよく知っている信頼のできる人と一緒でない限り、町なかを歩くことは絶対にしないように。貴重品などはできるだけ身につけず、常に不審者が周囲にいないか十分に気を配ること」

 僕が過ごした1日とはずいぶん感じが違う。たしかにプロフェットは「現地をよく知っている」人である。彼の案内があったから、安心して歩くことができたし、面白い散歩ができた。それはまちがいない。けれども、彼と一緒にいたから安全だった、というわけではないと思う。この2つはかなり意味が違うだろう。

 旅もすでに2週間。だんだんと荷物が増えてきたから、このガイドブックは捨てようと思う。

*原稿にする前のつぶやきも、現地からtwitterで配信しています。

ページトップへ

BLOGGER'S PROFILE

森田浩之

ジャーナリスト。NHK記者、Newsweek日本版副編集長を経て、フリーランスに。早稲田大学政経学部卒、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)メディア学修士。著書に『スポーツニュースは恐い』『メディアスポーツ解体』、訳書に『「ジャパン」はなぜ負けるのか─経済学が解明するサッカーの不条理』など。