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ワールドカップ「退屈」日記

ソウェトで食べたい牛すじ煮込み

2010年07月09日(金)11時55分

「南アフリカのソウェトって知ってるでしょ?」と聞かれて、「うん、知ってる」とすっと答えられる日本人は、たぶんそんなに多くないだろう。「ソウェト」という言葉は聞いたことがある、でも人の名前だろうか、地名だろうか、それとも料理の名前だったか......。そんなところじゃないかと思う。

 僕もそうだった。まあ地名であることは知っていたし、それがアパルトヘイト(人種隔離政策)に関係することもなんとなく知っていた。でも、ソウェトとはどういうところかと聞かれて、すっきり説明できる基礎知識は持っていなかった。でも、そんなもんですよね。

 学習の成果を披露するなら、ソウェトとはヨハネスブルクの南西部に広がる地域で、アパルトヘイト時代のタウンシップ(黒人居住区)である。人種隔離政策の下で黒人が強制的に住まわされていたエリアである。ソウェト(Soweto)の名は、South Western Townshipsの頭の2文字ずつをとった略称だという。

 もう少し何とかならなかったのだろうか。いくら略称だといっても、この呼び方には夢も希望もない。アパルトヘイト下の黒人居住区だから当たり前だが、同情のかけらもない。「とりあえず事務仕事がはかどればいいんだから、適当に短くしておこう」というノリが見え見えである。

 ともかく、そのソウェトに行ってみた。ただ行くだけでなく、現地の家庭にひと晩お世話になるというツアーである。名所を回るのも車やバスで乗りつけるのではなく、地元の人と一緒にミニバス(乗り合いタクシー)に乗り、あとは歩く。

 最初だけは迎えの車に乗って、ホストファミリーの家まで送ってもらった。それまで泊まっていたヨハネスブルク郊外のホテルを出発し、ほんの20分ほど走ると、「Welcome to Soweto」という標識が見えてくる。それを過ぎると風景が一変する。家が違うし、並び方が違う。

 いちばん異なるのは、風景のなかに土とほこりが多いことだ。ソウェトの人たちには失礼な言い方だが、地球から火星に行くと、こんなふうに感じるのかもしれない。

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 ホストファミリーは、お母さんのデイジーと、32歳のモテオを頭に息子が3人。お父さんがいない理由は聞かなかった。モテオと次男のネオは一緒にビジネスをしていて、"distributor" だと名乗った。何をディストリビュートしているのかと尋ねると、"herbal medicine(漢方薬)" だという。どのくらいの規模のビジネスかは聞かなかった。

 家はリビングとキッチン、それにベッドルームが1つ。別棟にさらにベッドルームが2つあって、僕はその1つを使わせてもらった。いつもは3人兄弟の1人が使っている部屋なのだろう。

 お土産に持ってきていた日本手ぬぐいをデイジーにあげると、"Lovely. Beautiful" と喜んで、頭に巻いてしまった。ちょっとピンぼけですが、そのときの写真。左からネオ、デイジー、モテオ。

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 現地で僕のガイドをしてくれたユーニス(地元に住む女性である)によれば、ソウェトの人口は約430万人だという。公式の統計でははるかに少ないことになっている。これは、ジンバブエやスワジランドといった近隣諸国から出稼ぎに来てソウェトに住む人たちが、統計からこぼれ落ちているためでもあるらしい。

 彼女によれば、ソウェトの失業率は53%。職をもつ人が、2人に1人いないということである。もうこうなると、失業率という統計の意味はなくなっているようにさえ思える。

 再びユーニスによれば、ソウェトを訪れる観光ツアーの多くは、ずっとバスに乗っている。名所に着いたらバスから降り、写真を撮る。まあそのくらいなら、どんな観光ツアーにもありがちだが、ソウェトの場合は写真もガラス越しに撮るようにしているツアーがあるという。サファリツアーでもこんなことはないだろう。それもこれも、ソウェトが危険だという思い込みからだ。

 ソウェトには、おそらくどんなツアーも必ず寄る名所が3つある。1つは1955年に「自由憲章(The Freedom Charter)」という文書が採択されたキップタウンという街だ。「自由憲章」はネルソン・マンデラが大統領になって制定された南アフリカ憲法の根幹になった文書で、10カ条からなる。

 第1条は「The People shall govern!」。びっくりマークがついているのがいい。そのまま日本語にすると「民衆が統治する」という面白くもない文になるけれど、この憲章を採択した人びとの気持ちとしては、「この国を動かすのは、私たちだ!」くらいのニュアンスだったろう。

 2つめは1976年に起きた「ソウェト蜂起」に関連するメモリアルである。この蜂起の中心は、中学生、高校生だった。彼らは学校の授業や施設に不満をため込んでいた。そこへ政府が、授業で使う言葉を「白人支配層の言語」であるアフリカーンスに限定するという方針を示したから、もう我慢できなくなった。

 抗議デモには1万人以上が参加した。若いデモ隊に向けて、警官隊は催涙弾を発射した。若者たちは武器を持っていなかったから、石を投げた。

 すると警官隊は実弾を発射した。ヘクター・ピーターソンという13歳の少年が死亡した。

 「自由憲章」を記念するメモリアルと博物館も、ピーターソンの博物館も、アートなセンスが生かされた素敵な展示が多かった。重い歴史を語っているのに、しかめ面をしていないから、見ていて楽しい。楽しいだけに、軽やかな説得力がある。

 3つめはビラカジ通り。このストリートは、2人のノーベル平和賞受賞者を生んだことで知られる。マンデラとデズモンド・ツツ大主教だ。ここにはマンデラ・ハウスという立派なミュージアムがあって、いつもツアーバスがとまっている、入場料が60ランド(約720円)もするので、僕はパスしてしまった。

 ソウェトを歩いていると、1ブロックに1カ所くらい、シャック(shack)と呼ばれる掘っ立て小屋の集まった場所がある。1つの区画(ユーニスは英語で "yard" と言っていた)に10〜15軒のシャックが立っている。ユーニスの友だちが住むシャックに案内してもらった。

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 中にも入れてもらった。日本式に言えば6畳くらいのワンルームで、ベッドがあり、テレビがあり、電気コンロを置くスペースがある。広角レンズがないのでうまく撮れなかったが、こんな感じの部屋である。3人家族で暮らしていて、家賃は月額250ランド(約3000円)だという。

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 シャックのヤードには子どももたくさんいる。ある家にけっこう大きなスピーカーがあって、それが外に向けられている。洗濯物を干すスペースが子どもたちのダンスフロアになった。

 観光名所以外の場所を歩いていると、東洋人などめったに来ないから、それはもう好奇の目で見られる。「こいつは何者だ」という目で、じーっと見つめられることもあるし、「アチャー!」とカンフーのまねをされることもある。だからそれは、日本のものじゃないんだってば。

 大人がカンフーなら、子どもたちは写真だ。「撮っていい?」と聞くと、みんなウワーッと寄ってきて、さっと並ぶ。まるでこういうときの並び方が決まっているかのようだ。

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 ソウェトのランドマークの1つが、クリス・ハニ・バラグワナス病院。ベッド数が3000という巨大な病院で、年におよそ1万6000人の赤ちゃんが生まれるという。平均すると1日44人の計算だから、これは相当に忙しそうだ。

 バラグワナス病院の近くにはマーケットがあり、野菜、果物、古着、菓子などが並んでいる。リンゴを1つ買ったら、2ランド(約25円)だった。こうした屋外のマーケットだけでなく、普通のスーパーでも肉や野菜はとても安い。今の為替レートだと、だいたい日本の半分から3分の1の値段だ。「南アフリカのフードは質がよくて安いんだ」と、地元の人は誇らしげによく言う。

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 すごかったのが「CDショップ」だ。CD−Rに曲をコピーして売っている。もちろん違法なのだろうが、数百枚の白いCDが並ぶと、それはそれで妙に美しくもある。

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 マジックインキで「ゴスペル」と書かれたCDを買った。15ランド(約180円)。ラップトップに入れてみたら、アルバム10枚分が入っていた。まあ、お得といえばお得である。

 ツアーの仕上げはランチ。ユーニスが連れていってくれた "Roots" というレストランは、あたりの風景とはまったく違うおしゃれな店だった。メニューのなかに、どんな料理なのかわからないものがあった。Mogodu(モホドゥ)という料理。ユーニスに聞くと、 "Inside a cow, not meat(牛のものだけど、お肉じゃないのよね)" と言う。彼女も英単語が出てこないらしい。

 運ばれてきたそれは、少し緑色がかっている。口に入れると牛すじである。カレー味で煮込んである。おいしい。

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 南アフリカの家庭料理だそうだ。こういうものを食べられる店がヨハネスブルクにないだろうかと、僕はユーニスに尋ねる。彼女は悲しそうに首を振る。「ソウェトだから食べられるのよ」

 わずか26時間しかいなかったけれど、ソウェトはとても楽しめた。車に乗って、また火星から地球へ戻る。

 ツアーを企画している団体のウェブサイトには「南アフリカを訪れる人は、まずソウェトへ行くべきだ」と力を込めて書かれている。でも「行くべきだ」と気合いを入れて行くのも、なんだか重ったるい。

 ワールドカップの試合会場の1つで、決勝も行われるサッカーシティーは、ソウェトのすぐ近くにある。観戦のついでにソウェトを初めて訪れる地元の白人が増えていると、こちらの新聞は報じていた。そんなきっかけでもいいのだろうと思う。

 ツアーに参加してもいいけれど、バスを降りて歩いてみたら、もっと楽しいことがある。さらにいくばくかの幸運があれば、おいしい牛すじ煮込みにもありつける。ソウェトはそんな場所である。

*原稿にする前のつぶやきも、現地からtwitterで配信しています。

*南アフリカから帰国後の7月19日(月・祝)に、「ワールドカップ『退屈』日記・総集編」と題したトークイベントを開催します。詳細はこちら

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BLOGGER'S PROFILE

森田浩之

ジャーナリスト。NHK記者、Newsweek日本版副編集長を経て、フリーランスに。早稲田大学政経学部卒、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)メディア学修士。著書に『スポーツニュースは恐い』『メディアスポーツ解体』、訳書に『「ジャパン」はなぜ負けるのか─経済学が解明するサッカーの不条理』など。