コラム

遠ざかる「パールハーバー」と「日米自動車戦争」

2009年12月09日(水)12時18分

 今週の月曜日は12月7日で、時差の関係でこの日が「真珠湾攻撃記念日」とされるアメリカでは、その68周年を迎えました。90年代までは毎年「その日」の新聞のトップに論評記事が出たり、高校などでは社会の先生などが必ず「今日はなんの日でしょう?」とやるので日本人や日系人の生徒は緊張を強いられたりしたのですが、そうした雰囲気は時の流れとともに消えて行っています。この日のNYタイムズでは国際面、国内面ともに言及はなく、コラムも含めて言及はありませんでした。

 夕方になってAP電が真珠湾での慰霊祭の模様を配信していますが、記事の趣旨は「真珠湾の生き証人にアフガン戦争の感想を語ってもらう」というストーリーが主でした。勿論、そのトーンは「反戦」で、先週オバマ大統領が発表して、今週から実施に入っている「3万人増派」への批判記事という、むしろその方がメインと言う書き方でした。この記事は翌日8日の紙面には載っておらず、少なくとも私の地区に配達された版では、NYタイムスとして今年は「パールハーバー記念日」の記事はゼロでした。

 思えば、2001年初夏に公開された大作映画『パールハーバー』が男女の三角関係を描いた「俗っぽい」ものだったこと、その中での日本軍の扱いが比較的好意的だったことが、1つの転機だったように思います。そして何よりも、その年の秋の9・11という事件が、過去を一気に歴史の彼方へと押し流して行きました。

 一方、同じ時期に映画監督のマイケル・ムーアが新作のキャンペーンで日本を訪れたと聞いたのですが、こちらも私には時の流れを感じさせるニュースでした。ムーア監督はこれまで日本に行ったことはなく、これが初来日になると思います。というのは、彼は強硬な反日派だったからです。これまで多くの日本人ジャーナリストがムーア監督に、それこそ「アポなし取材」を試みて、そのたびに罵倒されたりイヤな思いをしているそうですが、とにかく彼は相当の日本嫌いだったようです。

 というのは、日本車がデトロイトの自動車産業を衰退させた80年代の変化というのが彼の原点にあるからだと思います。『ロジャー・アンド・ミー』という彼の出世作になった作品は、衰退するGMがどんどんリストラに走る中、彼の故郷であるフリント市がどんどん荒廃していく様子を描いた痛々しいドキュメントです。ただ、奇妙なのは全編を通して「日本車」はほとんど出てこないのです。当時のロジャー・スミス会長の姿勢を追及するのがメインテーマであり、「敵」はそこに絞ったという面もあるのかもしれませんが、「日本」が出てこないことが非常に不気味にも感じられる作品でした。

 そのムーアが日本にノコノコ出かけて取材に応じているというのですから、正に隔世の感があります。ところで、私は日本での言動の様子は見ていませんが、この人は言葉の微妙なニュアンスに厳しい批判や敵意を潜ませるのが大好きなタイプです。そんなニュアンスの部分はほとんど伝わらない中、何も言っても微笑が返って来るような経験は、ムーアのような人には難行苦行に等しいと思われます。そのあたりの感想を機会があれば聞いてみたいと思うのですが、どうでしょうか?

 それ以前の問題として、日本の興行制度の中では、ムーア監督の作品のような「社会派の洋画」は「知的好奇心を持った恵まれた人」の中にしか影響力を持ち得ない、つまり、格差や雇用の問題で本当に苦しんでいる人には、彼のメッセージは届かない仕組みがあることに気がついたかどうか、この問題も尋ねてみたい点です。

 それはともかく、「パールハーバー」が忘れられ、「日米自動車戦争」の生き証人というべきマイケル・ムーアが日本にやってくるというのは、日米関係が基本的には良好ということだと思います。普天間の問題は政権担当者と事務方同士としては、また沖縄の現地や米海兵隊としては大変な問題ですが、少なくとも日米それぞれの全国レベルの世論が衝突するような事態にはならないと思います。ですから、多少の摩擦はあっても「問題が単純化する方向での修正なり解決」を模索することは不可能ではないと思うのです。過去の密約問題もそうですが、こうした平穏な時期に長い間のウミを摘出して、日米の間にある「闇の部分」を減らしておくというのは良いことだと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

中国大手銀行、高利回り預金商品を削減 利益率への圧

ワールド

米、非欧州19カ国出身者の全移民申請を一時停止

ワールド

中国の検閲当局、不動産市場の「悲観論」投稿取り締ま

ワールド

豪のSNS年齢制限、ユーチューブも「順守」表明
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:日本時代劇の挑戦
特集:日本時代劇の挑戦
2025年12月 9日号(12/ 2発売)

『七人の侍』『座頭市』『SHOGUN』......世界が愛した名作とメイド・イン・ジャパンの新時代劇『イクサガミ』の大志

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇気」
  • 2
    大気質指数200超え!テヘランのスモッグは「殺人レベル」、最悪の環境危機の原因とは?
  • 3
    トランプ支持率がさらに低迷、保守地盤でも民主党が猛追
  • 4
    コンセントが足りない!...パナソニックが「四隅配置…
  • 5
    若者から中高年まで ── 韓国を襲う「自殺の連鎖」が止…
  • 6
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙す…
  • 7
    海底ケーブルを守れ──NATOが導入する新型水中ドロー…
  • 8
    「世界一幸せな国」フィンランドの今...ノキアの携帯…
  • 9
    22歳女教師、13歳の生徒に「わいせつコンテンツ」送…
  • 10
    【クイズ】次のうち、マウスウォッシュと同じ効果の…
  • 1
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで墜落事故、浮き彫りになるインド空軍の課題
  • 2
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙すぎた...「心配すべき?」と母親がネットで相談
  • 3
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファール勢ぞろい ウクライナ空軍は戦闘機の「見本市」状態
  • 4
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体…
  • 5
    【クイズ】次のうち、マウスウォッシュと同じ効果の…
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    128人死亡、200人以上行方不明...香港最悪の火災現場…
  • 8
    【寝耳に水】ヘンリー王子&メーガン妃が「大焦り」…
  • 9
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 10
    【クイズ】世界遺産が「最も多い国」はどこ?
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 4
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」は…
  • 5
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 6
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 7
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 8
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 9
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 10
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story