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TBS「天気予報の森田さん」の気象哲学──不確実のススメ
COURTESY MASAMITSU MORITA
<ジャーナリスト・久保田智子が、人生についてインタビューする連載コラム。今回は、TBSテレビ「Nスタ」お天気キャスターの森田正光さん。気象解説で、客観的データに自分の見解をちょっぴり加えて語る理由とは>
「久保田さん、俳句で今の気持ちを!」。台本にない質問に焦りながら私は時計を見る。生放送の残り時間はあと5秒だった。えいやと言葉を吐き出す。「俳句って、ああ難しい、難しい!」
1978年、28歳で「最年少」気象解説者としてテレビデビューし、今ではTBSテレビ『Nスタ』で「最年長」のお天気キャスターとなった森田正光さん(70)は、アナウンサー時代の私にとって常に不確実性をまとった共演者だった。
台本に基づきながらも、書かれた言葉にとらわれ過ぎない自由があった。そしてまさにこの特質こそがほかの誰にもまねできない「森田さんのお天気」を創出していた。
森田さんは1950年、愛知県で生まれる。「科学好き少年だった。顕微鏡を買ってもらったり、近所のプラネタリウムに自転車で通ったり」。そんな森田さんに高校の先生は日本気象協会への就職を紹介する。
しかし森田さんは当初は乗り気ではなかったという。「気象なんて学問は好きじゃなかった。科学は合理性の最たるもので、1+1=2の学問。でも気象は1ぐらい+1ぐらい=2ぐらいっていう、きれいに方程式で描ける学問じゃないから」
ところが徐々にその不確実性に引き込まれていく。「気象は分からないということを初めから内包していた。そんな大まかなところをどんどん好きになっていったんだよね」。きれいな方程式でないからこそ、データだけに縛られない自由がそこにはあった。
「天気予報でデータに自分の見解を加えるようにした。例えば、明日の予報は雨なんですけど、本当に雨が降るか僕は疑問に思ってます、とかって。当時(1970年代)の気象協会からは怒られたよ。客観的事実を伝えるのが仕事だから、『思ってる』なんて絶対使ってはいけないって」
ならば客観的事実をと、森田さんは天気にさまざまなものを掛け合わせ始める。「街を観察して、今日は10人中7人が傘を持っていたので降水確率は70%ですね、とか。相撲の勝敗と天気をつなげて解説したり」
一方で、データから離れて自由に話し過ぎると気象解説ではなくなることも学んだ。「子供の頃に伊勢湾台風(1959年)を経験していて、近くの映画館がぺしゃんこになったの。(テレビで)当時の被害について話すはずが、その映画館でやっていたのは石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』と『風速40米(メートル)』の2本立てでしたって言っちゃって。大ひんしゅく(笑)」
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