コラム

再ナチ化が進行していたドイツの過去の克服の物語『アイヒマンを追え!』

2016年12月22日(木)15時50分

『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』

<アウシュヴィッツ裁判を主導したことで知られる検事長フリッツ・バウアー。彼が、ナチ戦犯アイヒマンのイスラエルのモサドによる拘束にどのように関わっていたのかを掘り下げていく物語。ドイツの戦後史が大きく変わっていた可能性が・・>

 実話に基づくラース・クラウメ監督『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』の主人公は、ドイツ・ヘッセン州の検事長フリッツ・バウアーだ。この人物については、以前、『顔のないヒトラーたち』を取り上げたときに触れている。ドイツにおける「過去の克服」の取り組みを振り返るうえで、決して外すことのできない重要人物だ。

【参考記事】「過去の克服」に苦闘するドイツを描く実話『顔のないヒトラーたち』

 この2本の映画は、設定や登場人物など重なる部分が多々あり、比較してみると興味深い。戦後の西ドイツでは、アデナウアー政権のもとで経済復興が優先され、脱ナチ化の取り組みは失敗し、連合国によって排斥された人々が復権するなど再ナチ化が進行していた。ナチという不法国家が残した問題と正面から向き合い、過去の克服を目指すバウアーは、そんな状況のなかでナチの息がかかっていない若い検事たちを指揮し、アウシュヴィッツ裁判に漕ぎ着けた。63年から始まった裁判では、アウシュヴィッツにおける組織犯罪を実行した諸個人がドイツ人によって裁かれると同時に、収容所の実態が明らかにされることになった。

 『顔のないヒトラーたち』では、架空の若い検事を主人公に据え、彼を支える脇役としてバウアーを登場させ、裁判に至る苦難の道程がリアルに描き出される。西ドイツではやがて若者たちが封印されていた過去と向き合い、ヒトラーを支持した親の世代と対決していくことになる。この物語は、そうした時代の流れのなかでバウアーが果たした役割も示唆している。

検事バウアーがナチ戦犯アイヒマンの拘束にいかに関わっていたか

 これに対して『アイヒマンを追え!』では、バウアーが主人公になるが、その物語に違和感を覚える人もいるかもしれない。なぜなら、彼の最大の功績はアウシュヴィッツ裁判だが、バウアーがそれを主導した人物として描かれるわけではなく、物語は裁判が具体化する以前の時期で終わるからだ。クラウメ監督はその代わりに、まずなによりもバウアーがナチ戦犯アドルフ・アイヒマンの拘束にどのように関わっていたのかを掘り下げていく。さらに彼の同性愛者としての側面にも注目し、独自の考察を加えている。

【参考記事】ナチスの戦犯アイヒマンを裁く「世紀の裁判」TV放映の裏側

 クラウメ監督はなぜアイヒマンや同性愛に比重を置くのか。「Der Staat gegen Fritz Bauer(国家対フリッツ・バウアー)」という映画の原題がそのヒントになるだろう。彼はこの映画で、国家とバウアーという個人の戦いを多様な視点から描き出しているのだ。

 物語は50年代末から始まる。63年から始まるアウシュヴィッツ裁判のための捜査にはほぼ4年の歳月が費やされているので、この時点では裁判に対する展望がまったく開けていない。バウアーと検事たちとのやりとりからは、彼らがボルマンやメンゲレ、アイヒマンらの捜査をしているものの、何の成果も得られていないことがわかる。そんなときブエノスアイレス在住のユダヤ人亡命者からバウアーに、アイヒマンが現地に潜伏しているという情報がもたらされる。

 バウアーは、アイヒマンを捕らえてドイツで裁判にかければ、現状を打破するための大きな突破口になると考える。だが、元ナチ党員が巣食う連邦刑事局や連邦情報局は信用できないし、検察にも内通者がいる。インターポールに問い合わせても、政治犯は担当外という答えが返ってくる。そこで彼は、イスラエルの諜報機関モサドに情報を提供するという大胆な行動に出る。それが露見すれば、彼は国家反逆罪で刑務所送りになる。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

焦点:トランプ氏政治集会の舞台裏、聴衆はなぜ熱狂す

ビジネス

円全面安が加速、対米ドル以外も10数年ぶりの安値更

ビジネス

日銀、政策金利の据え置き決定 国債買入も3月会合の

ビジネス

特にコメントできることない=日銀会合後の円安進行で
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された米女優、「過激衣装」写真での切り返しに称賛集まる

  • 3

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」──米国防総省

  • 4

    今だからこそ観るべき? インバウンドで増えるK-POP…

  • 5

    未婚中高年男性の死亡率は、既婚男性の2.8倍も高い

  • 6

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 7

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    「鳥山明ワールド」は永遠に...世界を魅了した漫画家…

  • 10

    心を穏やかに保つ禅の教え 「世界が尊敬する日本人100…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 10

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 4

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこ…

  • 7

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 8

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 9

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 10

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story