アステイオン

書評対談

2025年に三島由紀夫を読み直す意味とは?...平野啓一郎に「文学と政治の接点」を聞く

2025年10月29日(水)10時55分
平野啓一郎+中西 寬(構成:置塩 文)

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写真はすべて河内彩撮影

戦後社会にどう適応するか

平野 ところが、戦後の若者が実際にどのように社会に適応したかといえば、1つは、先ほどお話しした、生活レベルの向上を是とするマイホーム主義、出世主義。また、オリンピックに象徴されるスポーツや、身体に響き、生の実感をもたらすジャズやロック、ゴーゴーバーのような享楽もありました。

そして、特に文学者が注目したのがエロティシズムで、性を通じた一種の共同体や共同性の担保が追求されます。

三島の場合、身体的に虚弱で、スポーツを通じて仲間意識を持つことは難しい。それを克服しようと後にボディビルで体を鍛えます。ジャズやロックには関心が持てない。さらには、性的マイノリティであるがゆえに、エロティシズムを通じた同世代人の共同性からも排除されてしまう。

彼はむしろ大衆消費社会に自分を無理に適応させようとテレビに出たりもしますが、楽しめなかったようです。結局文学者であることが唯一の拠りどころになります。それが、『鏡子の家』の挫折から文学者としての評判にも自信が持てなくなってからは、国際的名声としてのノーベル文学賞を欲しがったりします。

戦後社会に適応しようとする20代、30代における彼の涙ぐましいほどの努力は、僕には戦中に死なずに生き残ってしまった負い目の裏返しに見えます。

父親とは不仲で家族主義にも教育勅語にも否定的だった三島は、「日本と日本的父性に取り組む」と明言して1964年に『絹と明察』を書きますが、そこに示された日本観は非常に浅薄で、日本回帰の準備はまだ整っていません。

戦後社会への嫌悪感がいよいよ強くなり、自分の中にある十代の頃の思いに気づいて急速に先祖返りするのは1965~66年です。

三島というと戦中からそのまま右翼活動家になっていったようなイメージがありますが、僕は、20代、30代にどうにか社会適応しようとしていた三島に魅力を感じるんです。

※後編:太陽の塔、自決、そして現在...平野啓一郎に聞く「戦後日本社会と三島由紀夫」 に続く。


[注] (*1) 1970年11月25日に三島由紀夫が、「楯の会」のメンバー4名を伴って陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪問し、東部方面総監を人質に取って、参集させた自衛官らに向けて、憲法改正(憲法第九条破棄)のための決起を呼びかけた後、割腹自殺した事件。 (*2) 「◎主題/美への嫉妬/絶対的なものへの嫉妬/相対性の波にうずもれた男。/『絶対性を滅ぼすこと』/『絶対の探究』のパロディー」(『三島由紀夫論』、106頁)


平野啓一郎(Keiichiro Hirano)
1975年生まれ。小説家。京都大学法学部卒。1999年、在学中に「新潮」に投稿した『日蝕』で第120回芥川賞受賞。著書に『マチネの終わりに』『ある男』『本心』、評論に『三島由紀夫論』など多数。最新小説は短篇集『富士山』。2025年夏、過去7年間に書いた文学論・芸術論を収録した最新エッセイ集『文学は何の役に立つのか?』、新書『あなたが政治について語る時』を刊行。

中西 寬(Hiroshi Nakanishi)
1962年生まれ。京都大学大学院法学研究科教授。専門は国際政治学。著書に『国際政治とは何か──地球社会における人間と秩序』(中公新書)、『戦後日本外交史』(共著、有斐閣)など。


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