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書評対談

2025年に三島由紀夫を読み直す意味とは?...平野啓一郎に「文学と政治の接点」を聞く

2025年10月29日(水)10時55分
平野啓一郎+中西 寬(構成:置塩 文)

タブーとしての三島由紀夫

中西 三島事件が起きたとき、私は8歳で意味はわからなかったものの、新聞の大きな活字と写真から受けた大事件のインパクトは今も残っています。

平野さんも、「小説家としては良いが政治的にはおかしな人」という三島評価を学校の先生から聞いたと書いておられますが、正直なところ、それが70~80年代に青年期を迎えた僕の世代の一般的な見方で、人物についてはややタブーという面がありました。

おそらく平野さんの世代あたりからそのタブーが解け始め、今や多くの作家が三島由紀夫を評価しているようです。私の世代にはちょっと意外な、この「三島由紀夫ルネサンス」的なものについて何かご印象はありますか。

平野 そうですね。終戦まで大日本帝国憲法と皇国史観に基づくイデオロギーの中で生きてきた「アプレゲール」の世代は、戦後「自由に生きなさい」と言われて深刻なアイデンティティ・クライシスに陥る経験をします。

そして多くの人は、出世主義やマイホーム主義など企業人なり家庭人であることに自分のアイデンティティを据えていきますね。

ところが三島は、作家としてはエスタブリッシュされていたはずですが、「自分とは何か」という問いの部分に大きな空虚感を抱えます。90年代後半の僕が共感したのがそこでした。

というのも、当時はバブルが崩壊し、1995年に阪神・淡路大震災、オウム真理教の地下鉄サリン事件と立て続けに起きて、末世的な雰囲気がありました。

その感じは、ルネサンスに至る前の中世末期ヨーロッパで1つの世界観の崩壊に瀕する状態の人々とも共振するように感じて、そこを舞台に『日蝕』を書きました。東西冷戦が終わり、世界の中で日本はどうなっていくのか、そして僕自身も将来どうするか、不安を感じる時代でした。

戦場体験の欠如

中西 平野さんだけでなく多くの三島研究者が、第四期を第一期の戦中時代への先祖返りの時期と捉えています。1925年生まれの三島は終戦の年に20歳、まさに戦中派です。

戦後のニヒリズムというお話がありましたが、戦争体験を持つ人が周囲に圧倒的に多いなか、彼自身は肺の病気で徴兵されず、戦場を経験することはありませんでした。

平野 同級生や近い世代が多く死んでいるなかで生き残ったことは、当事者問題として彼のなかに大きな引っかかりを残し、引け目になったと思います。

引け目の理由の1つが、国家が成年男子を健康状態によって序列化する価値観のなかにあって、肉体的に虚弱であることによる強い劣等感です。しかも、やや不透明な診断結果で戦争に行かずに済んだ。

病弱であまり正直でない人間が生き残り、健康でイデオロギーをまっすぐ信ずる人たちが死んでいったという一種のアイロニーが、「与えられた生を充実させなければ」という戦後の三島の強迫観念になっていったと思うんですね。

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