アステイオン

書評対談

2025年に三島由紀夫を読み直す意味とは?...平野啓一郎に「文学と政治の接点」を聞く

2025年10月29日(水)10時55分
平野啓一郎+中西 寬(構成:置塩 文)

平野 実定法の勉強にはなかなかなじめなくて、高坂正堯先生の政治学の授業は名調子で、政治学のほうが面白いかなと思いました。

とはいえ、根が文学的な人間なので、文学作品がしばしば議論にのぼり哲学的な問いを突きつけられる小野先生の政治思想史の授業を聞いて、ここしかないと。

『英霊の声』論──神秘主義、天皇主義、自決

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『アステイオン』102号 202-203頁より

中西 『三島由紀夫論』は三島の『仮面の告白』『金閣寺』『英霊の声』『豊饒の海』四作の作品論(表1)が軸になっています。平野さんの四期区分(表2)では第四期の作品である『英霊の声』論を2000年にまず書かれていますね。

平野 僕がデビューした90年代頃の文壇では、ポストモダンという時代性と、中上健次というスターの死の直後であることから、「三島の影響を受けている」と言うと否定的な反応を多く示されました。ただ、僕には「三島はきちんと理解されていない」という感じがありました。

三島はアイデンティティの拠りどころのなさを「日本」や「天皇」に直結させますが、エロティシズムを強調していたりもして、いわゆる右翼の天皇崇拝の枠におさまりきらない妙なものが混ざっています。

社会がタブー視する「右翼活動家としての三島」のイメージでは、あふれる文学的な才能を持ちながら社会に居場所のない彼の全体像を捉えきれません。

また、『英霊の声』以降右傾化していったと言われるけれど、本当にそうだろうかと。実際に作品を読むと、天皇観は分裂しているし、「特攻隊が敵艦と激突する瞬間に天皇と一体化する」などの神秘主義的ビジョンもある。

僕は文学者としての三島に魅了され影響されていましたが、以前からよくわからなかった天皇主義や自決の問題を考えるうえでの大きなヒントが『英霊の声』にあると感じて、そこから取り掛かったわけです。

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