アステイオン

書評対談

2025年に三島由紀夫を読み直す意味とは?...平野啓一郎に「文学と政治の接点」を聞く

2025年10月29日(水)10時55分
平野啓一郎+中西 寬(構成:置塩 文)
三島由紀夫

Bridgeman Images via Reuters Connect


<小説家と政治学者が三島由紀夫の遺した文学と思想を語り合う>


三島由紀夫の評論も手掛ける小説家の平野啓一郎氏に、国際政治学が専門でアステイオン編集委員をつとめる中西寛・京都大学教授が聞く(本対談は2025年1月17日に行われた)。『アステイオン102』より「戦後日本社会と三島由紀夫」を転載。本編は前編。

◇ ◇ ◇

中西 平野啓一郎さんが京都大学法学部在学中の1999年に、最初の小説『日蝕』で第120回芥川賞を受賞され大変話題になったとき、私は同じ法学部に助教授でおりました。また、専門は国際政治学ですので、1970年の「三島事件(*1)」で自決した三島由紀夫について、戦後日本を考えるうえで外せない人物として興味をもってきました。

今日は、一昨年に『三島由紀夫論』(新潮社)を上梓された平野さんと、三島を通して日本の政治、文学あるいは文化について幅広く語り合えればと思います。

「遍歴時代」

中西 お若い頃から三島由紀夫に魅せられ、文学の道を志されたと伺っています。まずは平野さんの遍歴時代を少しお話しいただけますか。

平野 僕は、自分の精神形成には、80年代から90年代半ばにかけて過ごした北九州の影響が大きいと感じています。社会の授業で「かつて四大工業地帯の1つだった北九州工業地帯は工業地域に格下げされた」と習ったとおり、自分を取り巻く環境の衰退をひしひしと感じていました。

また、中学、高校時代は日本がバブル絶頂期から崩壊に至る時期で、テレビに映る狂騒的な東京に嫌悪感を覚え、東大を目指して勉強するなどということにも強い反発があって、「地元に居るのも嫌だけど東京に行くのも嫌だ」という気持ちを抱いていました。

asteion_20251020061135.png

北九州は工場労働者の街ですから文化的な雰囲気はあまりなく、僕の閉塞感を解放してくれたのは、外から流れ込んでくる音楽や本、映画などで、特に惹かれたのが三島由紀夫の小説『金閣寺』でした。

最初はそのきらびやかな文体、社会にとけ込めない主人公の内面などに魅了されますが、他の小説やエッセーも読んでいくにしたがって、高度経済成長期の日本に対して彼の感じた居心地の悪さや抱え込んだニヒリズムが、90年代後半のバブル崩壊後の停滞感やニヒリズムと共振するのを感じるようになりました。

「三島事件」は「昭和の十大事件」のような特集には必ず含まれていて、三島への評価は一般的には犯罪者、異様な人というもの。それだけに余計に興味を持ったところもあります。しかし、彼の天皇主義はよくわからないところで、なぜああいう死に方をしたのかも謎でした。

中西 文学部でなく法学部を選ばれたのはなぜですか。

平野 僕はトーマス・マンが非常に好きなのですが、マンは市民社会に対する肯定的な感情が強く、芸術家と市民との対立を描く彼の小説では、芸術に魅了される人間が滅んでいきます。

僕は自由人に憧れて文学を読んでいましたが、田舎にいると作家になることなど現実的には考えられなくて。まともな人間として社会で働くために実際的な勉強のできる法学部を選び、文学作品はしばらく読まないつもりでした。

ところが、大学生協の書店には見たことのない本が並んでいるし、幸か不幸か、国立大学法人化前の自由放任的で大らかな京大法学部には僕を真っ当なほうに押しやる圧力が不足していて、読書熱が再発し真剣に小説家を目指すようになったんです。

中西 文学への思いと法学部の枠組みとの接点が小野紀明先生の政治思想史のゼミだったのでしょうか。

PAGE TOP