
中西 『仮面の告白』と『金閣寺』はともに、三島が若手小説家あるいは戦後を代表する小説家として評価されるようになる第二期の作品ですね。
平野 三島の根源には性的マイノリティとしての意識が強くあり、「この問題を書かないことには文学をやる意味はない」と考えていたと思うんです。
後に天皇制に魅了されていくなかで、天皇は常にその時々の政治体制の硬直を揺さぶる革命の原点になり得るとして、それを「みやび」の文化と説明し、さらに、天皇の包摂性に自分のセクシュアリティも含めた日本人のすべてを受け止める大きさを期待します。
『仮面の告白』は、個人的な問題を扱いつつ、三島が自分のマイノリティ性を通じて天皇に至り、後に政治的に屈折したかたちで反動化していく、その経路が見える作品です。
『金閣寺』は、いろいろな読み方があると思いますが、彼自身が「『金閣寺』創作ノート」に「金閣は絶対の象徴」と書き、「絶対性を滅ぼすこと」を「主題」としています(*2)。
この作品で、金閣を「天皇あるいは天皇に象徴される戦中的なもの」と捉えたうえでそれを滅ぼし、戦後社会を「生きよう」という決意の表明をしたのだと思います。
この二作は、ですから、個人的な問題、戦中戦後を死なずに生きてきた体験、そして体制変化も含めた社会の変化を描き切ろうとした作品と捉えることができます。
中西 1950年代、戦後社会が徐々に落ち着いていくなか、三島は作家としては成功しますが、内面には違和感を抱え、1959年刊行の『鏡子の家』以降は文壇でも孤立感を深めます。
第三期の60年代前半は、『宴のあと』のプライバシー侵害裁判や文学座の分裂騒動に巻き込まれるなど苦しかったようですね。しかし、第四期の60年代後半には創作意欲を復活させ、多くの作品を書きます。なかでも『豊饒の海』は圧倒的なボリュームを持つ大作です。
平野さんはそれまでに『英霊の声』『金閣寺』『仮面の告白』の論をそれぞれ公表してこられ、そのうえで『豊饒の海』論を連載されます。それら全体を一冊にまとめたのがこの『三島由紀夫論』ですね。
平野 『豊饒の海』は小説の出来栄えとしてはあまり良くないと思うのですが、何もかもが詰め込まれていて三島由紀夫という作家を理解するうえでは必読です。これについて書かないことには三島論は完結しないという思いで取り組みました。
中西 『豊饒の海』論は三島論に不可欠なのでしょうが、仏教思想、唯識論に取り組まないといけなくて、そこのハードルが高いようです。
平野 西洋思想は「イデア界のような本質がある」という考え方を通じてこの世界の存在を追求していきますね。インド思想も「感覚的に把握される世界は信用できない」というところまでは同じですが、「だからこの世界は存在しない」となってしまう。大乗仏教の「空」という概念が典型です。
三島は、戦後ニヒリズムを経験して、この社会が意味喪失していった先により本質的な何かを実感できるかというと、「何もない」という感覚が強かったのでしょう。
仏教の「この世界には何もない」という思想が自分のニヒリズムをうまく説明できると考えたようで、その虚無感を仏教にそのまま接続させています。
