ソウル市が管理する「京義線森の道」公園の敷地使用料をめぐる訴訟で、日本の最高裁に相当する韓国大法院は2026年8月、市の訴えを退けた。これにより国家鉄道公団が賦課した421億2016万ウォン(約48億7227万円)の無断占有に対する弁償金(使用料の120%相当)を適法とした2審判決が確定した。
使用料は訴訟期間中も積み上がっており、元本と遅滞利息を合わせた実際の負担額は約850億ウォン(約98億3242万円)に達する見通しで、さらに今後、毎年60億ウォン(約6億9400万円)を超える使用料も発生するという。
日露戦争の兵員輸送に活躍した路線
京義線は1905年4月、漢城(のちの京城府、現ソウル市)の龍山駅と満洲国境の新義州を結ぶ路線として部分開通(全線開通は06年4月)。日露戦争の最中に兵士や軍事物資を満洲へ運ぶ役割を担った。08年に正式な旅客営業を始め、釜山―新義州間で直通の急行列車「隆熙号」の運行を開始。
11年に鴨緑江橋梁が完成して南満洲鉄道と接続し、13年には同線を経由して欧州へ向かう国際連絡運輸が始まった。下関から釜山へ渡り、京釜線と京義線を経て新義州に至り、南満洲鉄道やシベリア鉄道などを乗り継いで欧州に向かう経路で、国際航路で40〜50日かかっていた東京=ロンドン間が15日に短縮された。
20年代に入ると鉄道を管理・運行していた総督府鉄道は、日本人居住者が増えた南大門に京城駅(現ソウル駅)を建設し、新駅を通る路線を本線とした。以降、龍山線と呼ばれた支線は貨物輸送や龍山駅を発着する列車の待避線などに使われた。