ゆっくりと着実な昇進

ミン・アウン・フライン氏は1956年にミャンマー南部で生まれた。1970年代にヤンゴン大学で法律を学んだが、当時広がっていた政治運動には近づかなかった。

2016年にロイターの取材に応じた当時のクラスメートは、「口数が少なく、ふだんは目立たない男だった」と評する。

周囲の学生たちはデモに参加している頃、ミン・アウン・フライン氏は毎年、国軍系大学トップである国軍士官学校(DSA)に志願し、3回めとなる1974年に入学を許可された。

DSAのクラスメートによれば、彼は士官候補生としては平凡で、「ゆっくりとだが定期的に昇進していった」という。

ミン・アウン・フライン氏の軍歴が花開くのは、ミャンマー東部国境での作戦を担当した後である。ここで同氏は2007年、燃料価格の高騰に反発する僧侶主導の抗議行動「サフラン革命」に対する流血の鎮圧を支援した。

同氏は1年後、20年にわたる休戦状態を破棄してミャンマー東部の飛び地から武装反体制勢力を排除する作戦を指揮し、約3万7000人を中国領内に追いやった。

国軍に詳しい識者によれば、同氏が2011年に軍司令官に昇進した背景には、この作戦の成功があったという。この年、ミャンマーは民政移行を開始し、2015年のスー・チー氏の勝利をもたらした自由で公正な選挙へと至る道が開けた。

政界への大きな影響力

だが、ミン・アウン・フライン氏は政治においても有力者であり続けた。

同氏は2016年、次のように述べている。「タトマダウ(軍を表わすミャンマー語)は、国内政治における主役として存在しなければならない」

国会の議席の4分の1は選挙の洗礼を受けない軍将校に割り当てられており、ミン・アウン・フライン氏は、国軍に強い政治権限を与える憲法の改正を阻止できる立場にある。

国軍が3つの有力省庁を統括していることから、同氏はミャンマーの官僚機構にもしっかりした足場を持っている。また彼は国軍総司令官として、緊急事態においては「国家主権を掌握し行使する」権利を留保している。

2017年に国軍が開始した弾圧により、73万人以上のロヒンギャがバングラデシュに逃れ、人道的危機が発生し、世界最大の難民キャンプが生まれた。ミン・アウン・フライン氏は、この攻撃を象徴する人物となった。

同氏はロヒンギャを指す蔑称を使いつつ、「ベンガル人問題は、未解決のままとなっていた長年の課題だ」と述べている。

国連の調査団は、この攻撃は大量虐殺や集団レイプ、広範囲での放火を伴うもので、「ジェノサイドの意図」で行われたと述べており、国軍の関与を告発しているが、国軍はこれを否定している。

この調査を受けて、国連は2019年、ミン・アウン・フライン氏他3人の国軍指導者を制裁対象とした。国際司法裁判所を含め、さまざまな国際法廷において複数の裁判が進行している。

Antoni Slodkowski(翻訳:エァクレーレン)


[ロイター]
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