およそ新しいものを創造するためには、いろいろな試行錯誤を粘り強く行う必要がある。この試行錯誤という点で、長い大学教員の経験から昔と今の学生で大きく違う点を感じる。それは、誰でも試行錯誤して楽しめる問題に対して、考えているときの態度に現れる。

昔の学生は全員がチャレンジし続けて、時間が30分近くなって答を言おうとすると、「先生、いま考えているから、絶対に答は言わないでください」と言う者が何人もいた。今は、そのように言う者はほとんどいないばかりか、問題を見た途端に「先生、この問題の解き方はどうすればよいか、教えてください」と言う学生が多くいる。

実は、この残念な傾向にマッチするような教育や参考書が氾濫しているが、そのような教育に対する反省があるからこそ、2020年度から始まる大学入学共通テストの国語と数学では、一部に記述試験が導入されることになった。

その試行調査(プレテスト)が何回か行われ、その度に「数学の記述試験の成績がそうとう悪い」という報告がある。

マークシート式の試験対策しか行っていない生徒がいきなり記述式の試験を受けても成績が悪いのは当然であり、難易度をもっと下げてほしかった。

さて、TIMSS(国際数学・理科教育動向調査)などでも、日本の子どもたちの「数学嫌い」は際立って多い。なぜ、この問題にもっと真剣に目を向けなかったのだろうか。理系に進学する女子を対象とするセミナーはあちこちで開催されるようになったが、大多数の生徒が数学を嫌いだと思う意識を改善しない限り、いくら「AI時代には数学が大切」と騒いだところで根本的な改革は進まないだろう。

数学を真に「面白い」と思うのは、素早く答を当てたときではなく、答や面白い性質を導くプロセスがよく理解できたときである。

日本の数学教育には抜本的な改革が必要だ

最後に重要と考える2点を提言したい。

1つは数学が苦手な生徒は、わからないところがわからないということだ。そのような生徒に向かって、「わからないところがあったら質問しに来なさい」と言うことは、「質問に来るな」と受け止められることに留意すべきだ。数学を教える側は、生徒がつまずいている箇所を、生徒の心に飛び込んで見抜く努力をしたいのである。

もう1つは、理解の遅いことは悪いことではないということだ。理解の遅い子どもたちにはそれぞれにマッチした教育をしてあげればよい。筆者が尊敬する数学者ガウスは、すでに3歳のとき石屋を経営する父親の計算を横からチェックしていた。

ガウスのような生徒も、理解の遅い生徒も、それぞれに見合った画一的でない数学の教育を受けられるように、抜本的な改革をしてもらいたい。それが技術立国日本の再建につながると信じている。

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※当記事は「東洋経済オンライン」からの転載記事です。
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