世代(generation)とは、同一時期に生まれ、育ってきた時代状況を同じくする群をいう。「○○世代」という言い方をよく聞くだろう。多様で個性ある人間を一括することに違和感を持たれるかもしれないが、「世代」とは人間理解の鍵となる概念でもある。人間は、育った時代状況の刻印を受けるものだ。

1976年生まれの筆者は、今年で50歳になる。自分が生きてきた半世紀を簡単に振り返ってみようと思うが、それは何かと話題になる「ロストジェネレーション」の50年史を素描することでもある。

方法として、ジェネレーション・グラムという図法を用いる。横軸に年齢、縦軸に時代をとった座標上に、ある世代が生きた軌跡線を引くものだ。筆者の世代の場合、(1976年、0歳)と(2026年、50歳)の2点を結ぶことになる。マトリクス上に様々な出来事も書き込むことで、人生の各時期にどういう時代を生きたかが視覚的に分かる<図1>。

われわれが生まれたのは、高度経済成長が終焉した後だ。上の世代によって、何もかも作り上げられた時代。今の子どもたちと同じく、私たちも生まれながらの「消費者」だった。インターネットこそなかったものの、カラーテレビがほとんどの世帯に普及し、人気歌手・山口百恵の歌声がお茶の間に流れていた。

われわれが乳幼児だった頃は、働く母親は多くはなかった。女性の有業率の年齢カーブを描くと、結婚・出産期の谷が最も深いのは1970年代半ばだ。戦後初期の頃までは農業社会で、女性も重要な労働力だったが、高度経済成長期を経て雇用労働化が進むとともに「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業観が根付いたためだ。われわれは、人格の礎が築かれる乳幼児期に性役割分業の純粋型を見ながら育ったことになる。「男子はこう、女子はこう」というしつけも他の世代と比較して強かったのではないか。

次に児童期。われわれが小学校に上がったのは1980年代の初頭。実は、われわれも「ゆとり世代」だった。高度成長期の詰め込み教育が反省され、1977年に「ゆとり・内容精選」の方向で学習指導要領を改訂。1981年度より施行された。

いじめの「第一世代」

遊び(娯楽)はというと、マンガを貪り読み、テレビをよく観ていた。ネットなどなかったから、これらの視聴時間は今の子どもよりもはるかに長かった。それと、われわれは真正の「ファミコン世代」、テレビゲーム第一世代だ。ファミコンが発売されたのは1983年なので、われわれの児童期はファミコンと共にあった。1980年代後半はバブル期で親の財布のヒモも緩んだのか、派手な消費をした児童期だったといえるかもしれない。

「悪さ」はどうだったかというと、1980年代の初頭は全国的に学校が荒れた時代で、校内暴力の発生件数も現在の比ではなかった。少年の非行発生率が戦後ピークに達したのは1983年のこと。少し上の世代には及ばないが、われわれも10代の頃は結構ワルをした世代だ。非行統計の上では、今のティーンなど随分大人しく見える。

ちょうど10歳くらいの頃に、いじめの社会問題化という事態に直面したことにも注目。生徒の問題行動を力で鎮圧する管理教育が横行した結果、攻撃の矛先が上の世代(教師など)から同世代(級友)に向いたためではないか、といわれる。いじめが大っぴらに社会問題化(顕在化)した時代に児童期を過ごしたことから、いじめの第一世代といえるかもしれない。こうした学校病理に対応すべく、個性重視や生涯学習体系への移行を掲げた教育改革案(臨時教育審議会答申)が公表されたのは1987年のことだ。

就職氷河期からフリーター、ニートへ
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