「自分だってつらい」「自分のほうがつらい」

 社会的に公認された「明白な弱者」だけが「特別扱い」されるのは不公平だとして、「曖昧な弱者」が憤懣を抱き、「明白な弱者」に敵意を向ける。その結果、「弱者叩き」が繰り広げられ、本来は支援の対象であるはずの「明白な弱者」が誹謗の対象とされてしまう。しかし「曖昧な弱者」には悪いことをしているという意識はない。なぜなら「自分だってつらい」のだし、さらには「自分のほうがつらい」のだから。そのことを言い立てるための「弱者争い」が同時に繰り広げられ、それが「弱者叩き」を正当化する根拠となる。(「はじめに」より)

同じことは、生活保護受給者を一方的に非難する「生活保護バッシング」、コロナ禍以降に物価高対策などのために行われた各種給付金の受給対象である住民税非課税世帯に向けられた「非課税世帯バッシング」、女性専用車両への反対運動などにも言える。

さらには在日コリアンをターゲットにしたヘイトスピーチや、埼玉県川口市に集住するクルド人への攻撃などにも当てはまるのではないだろうか。

だが、この時点で、「どんな人が『明白な弱者』なのか」を明確にしておく必要があるだろう。そこで参考にしたいのが、著者による「明白な弱者」についての考え方だ。

収入の当てのない低所得者、高齢者、障害者、子ども、子育て世帯、ひとり親世帯、障害児のいる世帯、遺族、難病患者、失業者、労災者、女性、被差別部落民、アイヌの人々、外国人、感染症患者、刑を終えた出所者、犯罪被害者とその家族、LGBTQ、ホームレスの人々などだ。(166ページより)

こうした人々を「明白な弱者」と認定し、支援の対象とすることが、今日の日本における大型の合意になっているのではないかということだ。「誰が弱者なのか」という問いに対する“公式の回答”となるものだともいう。

元来はむしろ「強者」であるはずの人たち
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