元来はむしろ「強者」であるはずの人たち

これまでの日本では、この範疇に収まる人たちに異議が申し立てられるようなことは少なかった。ところが近年は状況が変わり、あちこちから不満の声が湧き上がるようになっているのではないか。

「高齢者だけでなく、現役世代も加えろ」「女性だけでなく、男性も加えるべきだ」「外国人よりもつらいのは日本人だ」などなど。また、「低所得者よりも中所得者、障害者よりも健常者、失業者よりも労働者のほうがつらい」といった声もよく聞かれるというが、そんなことを言い出したらきりがなくなる。

 中間層やマジョリティに属し、元来はむしろ「強者リスト」のメンバーであるはずの人たちが、こうしてそれぞれの「弱さ」を訴えながら、「弱者」の仲間入りをさせてもらいたいと望むようなケースが増えている。これまでは守られる対象ではなかった人たちが、自分たちを守ってほしい、自分たちには守られる権利がある、などと主張するケースだ。その結果、元来の「明白な弱者」の枠には収まりきらない多様な弱者、「曖昧な弱者」が大量発生することになった。(167ページより)

なぜ、こんな状況になってしまったのか。その背景には「明白な弱者」への対応が偏ったやり方で進められてきたことがあると著者は指摘する。

元来、日本の福祉体制は「日本型福祉社会」などと呼ばれていた。ところが1990年代半ば以降、それが崩壊に向かう。そして皮肉なことに、差別解消の動きは急速に進展し、女性や外国人などのマイノリティ、すなわち「明白な弱者」への支援が盛んに行われるようになる。

日本では、「日本型福祉社会」の崩壊に伴って「再分配の政治」のひずみと「承認の政治」の遅れとが連動した結果、後者への反動が生じ、マイノリティへの攻撃が繰り返されるようになった。そこでは経済的な問題が文化的な問題に転換され、「曖昧な弱者」の敵意がマイノリティへの差別として「明白な弱者」にぶつけられることになる。(175〜176ページより)

出口のない分断を、出口のある分断に?
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