『曖昧な弱者の時代』(伊藤昌亮・著、岩波新書)の冒頭で著者は、コロナ禍が猛威を振るった2020年初頭の状況を振り返っている。

そこでクローズアップされているのは飲食店だ。外出自粛が呼びかけられ、客足の途絶えたあの頃は、特に資本力のない個人店が苦境に立たされた。そうした状況が人々の同情を呼び、SNSではテイクアウトの呼びかけやクラウドファンディングの提案など、飲食店を支援しようという機運が高まっていった。

つまり当時の飲食店は、“コロナ禍に端を発した社会的弱者の筆頭”として多くの人々から捉えられていたわけである。『曖昧な弱者の時代』

ところがその後、感染拡大防止策として時短協力金制度が始まり、営業時間を短縮した店に協力金が支給されるようになると状況が変化する。それまで同情的だったはずの人たちが、一転して飲食店に否定的な態度を見せ始めたのだ。当時のことは私も記憶しているが、あれは嫌な空気だった。

なぜ、そんなことになったのか。あの「変化」に関しては、著者による以下の記述が分かりやすい。

 その際、人々の反発の声の中心にあったのは、飲食店だけが「特別扱い」されることの不公平さという点だった。「自分だってつらいのに、なぜあいつらばかりが助けられるのか」という具合だ。(「はじめに」より)

あのとき、飲食店を“叩いた”人たちの心の中では変化が起きていたのだろう。支援されている人たちを眺めているうち、心の中にあった「自分だってつらい」という思いが、「自分たちのほうがつらい」へと肥大化していき、やがて「あいつらばかり支援されるなんて許せない」というような「弱者叩き」へと進展していったわけだ。

自らの「弱さ」を盾にして「弱者争い」をするようになった、ということになる。その気持ちも分からないではないが、そんなことを続けたところで何も変わらないし、むしろ、どんどん不健全な状態へと進んでいってしまうのではないだろうか。

「自分だってつらい」「自分のほうがつらい」
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