当事者と障害者の架け橋になった一実ちゃん
物語には野口さん一家の他にもうひとつ、ダウン症の女の子「かずちゃん」を抱えた篠岡(ささおか)家の20年が描かれている。この「かずちゃん」の20年の生涯が実は大きな意味を持つことが読んでいくとわかる。
99年に神奈川県立こども医療センターで生まれた「かずちゃん」は重度のダウン症だった。しかし、1976年に「青い芝の会」の抗議運動によって当時の県知事が「神奈川県下の公立病院では一切の出生前診断をしない」と覚書を交わしたことから、担当した産婦人科医の山中美智子医師は、羊水検査をすることができなかった。母親の薫さんは、生まれてからわが子が重度のダウン症ということがわかり、おおきなショックを受ける。
そしてこの山中美智子医師が、実は、後の「着床前診断」の規制緩和で重要な役割を果たすことになるのだ。
下山さんは、山中医師に取材をした際に、退職の講演のスライドの最後に、ちらりと、思い出深い出産として「十二指腸閉鎖 21トリソミー」という表記があったのをめざとくみつけて、その名前も分からない子の名前も分からない母親に手紙を書いて山中医師に託したのだという。
「今から考えると、よく山中先生はその手紙を篠岡薫さんに渡してくれたと思います」
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