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1990年代のアメリカの空前の好況の立役者であるアラン・グリーンスパン元FRB(米連邦準備理事会)議長が、6月22日死去した。パーキンソン病の合併症が原因とされる。100歳だった。

87年から約20年にわたり、民主・共和両党の4人の大統領の下でFRBを率いた。その絶妙な金融政策の舵取り故に、「マエストロ(巨匠)」と呼ばれたが、その功績には大きな議論も付きまとう。

とりわけ、退任後の2008年に起きた米金融危機以降は、グリーンスパン時代に進んだ金融業界の規制緩和が、過剰な貸し付けや複雑な金融商品の蔓延といった金融機関の暴走を招いたと非難された。

実際、世界大恐慌への反省から生まれた伝統的な銀行業務とリスクの高い投資銀行業務を分離するグラス・スティーガル法が99年に廃止された背景には、グリーンスパンの強い後押しがあったとされる。

ある意味で、グリーンスパンは自らの神話的な成功の犠牲者だったのかもしれない。

「グリーンスパンはマエストロであり、何か危険なことが起きても彼が市場を救ってれるという認識が確立されたことが、(市場参加者による)極めて危険な行動を生み出した」と、金融ジャーナリストのジャスティン・フォックスは指摘する。

90年代末には、グリーンスパンは市場暴落の芽には素早く対処するが、資産価格の高騰には介入しないという見方が金融関係者の間でほぼ常識となった。

アメリカから世界に広がった金融危機と、それに続く大不況について、グリーンスパンが直接的な責任を認めたことはない。ただ、銀行に義務付けられる自己資本比率は、もっと高く設定されるべきだったと語っている。