今となっては、ノワクが無実の被害者だったことを僕たちは皆知っている。警察が到着した時、彼らは別の「情報」を持っていた。加害者の兄弟が警察に通報し、人種的動機に基づく暴行だと報告していた。警察は、現場に向かう途中でそう聞かされていたのだ。そして現場では、兄弟2人がもっともらしい出来事の説明を警察にしていた(「彼は俺のターバンをはたき落とし、俺の顔を殴った」。)
ノワクは立ち上がって理路整然と自分の主張をすることができなかった。警察は間違った推測をし、恐ろしい結果を招いたのだが、当時はそれが明らかに間違いだと分かるような状況ではなかった。
僕にはいくつか腑に落ちない点がある。警察は、ノワクが刺されたとは考えていなかったのだから、地面に倒れて動けず、弁明もしなければ逃げもしない様子を見ておかしいとは思わなかったのか。なぜ動かずにいる理由を理解しようとしなかったのだろう。
もう1つは、加害者は兄弟に警察へ通報させて、現場にとどまったのに、なぜ虚偽の証言の中で刺し傷について説明しようとしなかったのか(「正当防衛だった」とか「恐怖のあまり」とか「ほかに方法がなくて」など)。
結果を恐れて手出しできない警察
警察について言えば、僕は最近、北アイルランド警察に関するテレビドキュメンタリーを取り上げたラジオ番組をたまたま聞いた。その中で、若者たちが夜に中心街で電動バイクに乗り高速で「暴走」するという話があった。なぜ警察は何もしないのか。その答えの1つは、起こり得る結果を恐れているからだ。
おかしなことに、バイクの若者たちは警察が敢えて対応しないことを分かっているから、警察を挑発さえする。警察は、転倒してケガでもさせたら大変だから、暴走バイクの若者に手を出してはいけないと、よく心得ている。そんなことになれば調査にかけられてしまう。
バイクが歩行者に突っ込む可能性があるから、追跡にも慎重だ。場合によっては、警察が責任を問われる。警察が追うと、バイクの若者たちは歩道に乗り上げ、見通しの悪い角を曲がるため、事故の危険が高まる。
伝えられるところでは、バイクの若者たちは、警察がさらに躊躇するだろうことを知っているからこそ、わざとヘルメットをかぶらないのだという。重傷を負うリスクがはるかに高まるからだ。「警察関与後の死亡」は、綿密に記録され、調査され、公表される統計となる。
社会として、ダブルスタンダードがまかりとおっている。大胆な犯罪を防ぐための取り組みが足りていない、と僕たちは警察を非難する一方で、厳しい取り締まりをすれば当然起こり得るような事件が起こると、警察を厳しく調査するのだから。
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