「河野大臣、恥ずかしくないんですか」。1994年9月、エジプトの首都カイロで開かれた国際人口開発会議に出席した河野洋平は、車椅子に乗った一見するとひ弱な女性にそう言われて驚いただろう。

有力な政治家一族の御曹司に、そう言い放ったのは安積遊歩(あさかゆうほ)だ。

安積は1956年生まれ。生後間もなく「骨形成不全症」と診断された。骨がもろく、骨折や変形を繰り返す遺伝性疾患だ。けれども病気以上に安積に過酷な生活を強いたのは、彼女を取り巻く社会だった。

安積が生まれる8年前、日本の国会では優生保護法が全会一致で成立していた。「不良な子孫」の出生を防ぐためと称し、障害のある人などに不妊手術や人工中絶を推奨・強制する稀代の悪法だ。96年の改正までに本人の同意なしに1万6000件を上回る不妊手術が実施され、9歳の児童に手術が行われた事例もあった。

障害者が直面する現実を変えようと闘ってきた安積は、カイロ会議で人権無視の悪法がまかり通る日本の現状を訴えた。彼女の言葉は世界中で大きな反響を呼んだ。「スピーチの後、30人ほどのジャーナリストに取り囲まれた」と、安積は言う。外務省の反応は鈍かったが、スピーチの数時間後、当時の副首相兼外相で自民党総裁でもあった河野洋平から詳しく話を聞きたいと声がかかった。

「とても正直な人で、この法律のことは初耳だと打ち明けてきた。それで私は言った。日本を代表する立場にありながら、これほど人権を蹂躙する法律の存在を知らないなんて『恥ずかしくないんですか』と」

帰国して数カ月後、この法律の件で話し合いたいと厚生省(現厚生労働省)から安積に連絡がきた。「あなたのせいで『これを検討せい』と圧力をかけられています」と、厚生省の役人は彼女に言ったそうだ。