<初対面の運転手に人生を語るのは本当に不自然なのか──『TOKYOタクシー』と『パリタクシー』を社会学と犯罪学の視点から読み解く(一部ネタバレあり)>
今年の日本アカデミー賞優秀作品賞を受賞した映画『TOKYOタクシー』と、その原作となったフランス映画『パリタクシー』について、社会学及び犯罪学の立場から考えてみたい。
この2作については、好意的な評価がある一方で、批判的なレビューも少なくない。とくによく見られるのは、「初対面のタクシー運転手に乗客が自分の過去を次々と語るのは不自然だ」「自分の子供の将来も考えずに無謀な行動に走ったことを、平然と話すことはあり得ない」という批判である。
『TOKYOタクシー』では、85歳の女性がタクシーに乗り、自分の過去、それも他人にはなかなか話せなかったような出来事を、運転手に向かって語っていく。『パリタクシー』でも、92歳の女性が、同じように、重い話を運転手に一方的に話していく。
たしかに、現実の場面として考えれば、初対面の相手にそこまで深い過去を打ち明けることは、そう多くはないだろう。その意味では、「リアリティがない」という批判にも一理ある。
しかし、むしろ別の意味で、この2作には強いリアリティがある。
「タクシー運転手への語り」は単なる感傷ではなく
映画では、高齢女性の過去を観客に伝えるために、彼女がタクシー運転手に語るという形式が取られている。だが実際には、女性が車窓から見える街の風景を眺めながら、自分の人生を1人で思い返していると受け取ることもできる。映画では内面の独白だけで物語を進めることが難しい。そのため、回想が「タクシー運転手への語り」として表現されているのではないか。
そう考えると、この作品のリアリティはむしろ高まる。
人は年齢を重ねるにつれて、過去の出来事を思い出したくなる。あるいは、思い出さずにはいられなくなる。これは単なる感傷ではなく、心理学や老年学の領域で「回想法」とも関わる現象として、しばしば論じられてきた。