カトリック教会の教皇制度には2000年近い歴史があり、初代は使徒ペトロとされる。それに比べるとダライ・ラマの制度は歴史が浅く、始まりは14世紀の後半だ。そもそも「智慧(ちえ)の大海」を意味するダライ・ラマの称号自体、1578年にモンゴル帝国(北元)のアルタン・ハーンが与えたものとされる。

チベット仏教では輪廻転生にさまざまなレベルを想定し、しかるべき高僧は自らのスピリチュアルな使命を続けるために自覚して転生するものとされる。そうしたトゥルク(化身)の頂点に立つのがダライ・ラマだ。

特に17世紀以降は、歴代のダライ・ラマ(幼児の場合はその摂政)が元朝から清朝に至る中国王朝との間で施主と僧侶のような関係を築き、独特な神権政治のシステムによってチベットの地を政治的に統治してきた。

チベット民族の闘争

ダライ・ラマ14世は世界中の人々からチベット仏教の精神的指導者として認められ、深く敬愛されている。非暴力の抵抗とチベット人のアイデンティティーを体現する象徴としても名高く、その後継者は14世の道徳的、外交的影響力を受け継ぐことになる。

その継承プロセスとその結果は、チベット仏教および自由と民族自決を求めるチベット人の闘争の将来を左右するだろう。だからこそ中国政府はこの継承プロセスを仕切りたい。そうすればチベット最大の抵抗の象徴を国家の手先に変貌させ、占領政策を正当化する夢がかなうからだ。

中国は清朝時代の方法を押し付けようとしているが
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