こうした院内の改善に加え、夜な夜なランプを持って巡回をする愛のある姿から、彼女は「ランプの貴婦人」や「クリミアの天使」と呼ばれるようになった。

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イラスト 芦刈将

これらの活躍を聞いたイギリス政府は、ナイチンゲールの権限を戦闘区域全ての病院へと広げ、1855年10月には彼女の手法が病院運営の公式手順となった。1856年にクリミア戦争が終結し、イギリス軍を救った英雄として彼女は祖国で歓迎された。

視覚的に数字を見せる「鶏のとさか」

だが、彼女の仕事は終わらなかった。夜間の病院を照らすランプの代わりに、軍の宿舎や病院のデータを手に取り、劣悪な環境を変えるべく動き出したのだ。ナイチンゲールはクリミア戦争での死亡率のデータを数値でまとめた。

しかし、政府の役人は数字に疎く、結果として彼らの心には響かなかった。どうしたら政府の役人を動かせるか。悩むナイチンゲールを照らしたランプは「統計学」だった。

早速、政府の役人に野戦病院の環境の劣悪さを理解してもらうため、彼女は次のグラフを作成する。

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このグラフは形状から「鶏のとさか」とも呼ばれている。

ナイチンゲールは鶏のとさかを通じて、多くの兵士の死因が外傷ではなく感染症であることを明らかにした。特に、1855年1月に死亡した3168名のうち、約87%にあたる2761名の死因が感染症であったことを指摘している。

ナイチンゲールは「この状況が続いていたらクリミアに派遣されたイギリス兵は感染症だけで全滅していただろう」という見解を述べた。

ナイチンゲールが信頼した「統計学」
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