「難民キャンプが排除される」といった陰謀論も

抗争の後、シャティーラキャンプの住民たちの間には、家族を殺されたオッカル家やバドラン家の間でさらなる報復合戦が始まるのではないかという不安と恐怖が広がっていた。キャンプは1キロ四方しかない。そこで抗争が始まれば、住民たちはキャンプから逃げるしかなくなる。

一方で別の不安を語る市民もいる。抗争が始まって状況が悪化すればレバノン軍がキャンプ内に入ってくるという不安である。27日の夜に銃撃戦があった時、軍はキャンプの周辺を包囲したという。

今回のシャティーラキャンプでの銃撃戦については、「ウエニ・ダウレ?(国家はどこにある?)」というフェイスブックページで死んだ2人の遺体の画像や、運ばれた病院での救命措置の動画が流れた。一部は現地紙にも出ている画像であり、内部から流出した画像・映像と見られ、無法状態を放置しているレバノン政府を批判する内容となっている。

無法集団の抗争であるとはいえ、レバノン国内で政治問題化する要素をはらんでいる。キャンプでは「シャティーラを排除しようとする陰謀があるのではないか」という声を聞いた。

そのような陰謀論は、80年代に侵攻してきたイスラエル軍の包囲下で起こったレバノンの右派民兵による虐殺(サブラ・シャティーラの虐殺)や、シーア派勢力による包囲攻撃「キャンプ戦争」を経験したパレスチナ人の悲惨な過去の記憶からくる懸念であろう。

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しかし、かつて15年に及ぶ悲惨な内戦を経験したレバノンにとっては、隣国シリアで続く内戦の波及を食い止めることがすべての政治勢力にとっての最大の課題である。パレスチナ難民キャンプを排除するような、わざわざ政治不安を生み出すような陰謀が動く余地があるとは思えない。

来年2018年はイスラエルが独立し、パレスチナ人が難民化した1948年の第1次中東戦争から70年を迎える。シャティーラは70年間のパレスチナ難民の苦難を象徴する場所である。

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しかし、80年代に15歳でキャンプの防衛の戦闘に参加し、腹部にも、両足にも弾痕が貫通した傷跡を持つ元戦士(48)は「80年代は悲惨だったが、人々の間には一体感があった。いまはみんな自分のことしか考えず、ばらばらになっている」と嘆いた。

パレスチナ問題の解決の希望はないまま、「シャティーラ」は政治から遠く離れた犯罪組織が横行する場所になろうとしている。外からの陰謀を心配するよりも、このままではキャンプが自壊に向かいかねないコミュニティの危機こそ深刻な問題である。

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