帽子や恋人、宝石の話ばかり
映画のシャネルは生き生きと愛らしいが、それが彼女のすべてではない。クリエーティブな分野で成功した男性(レイ・チャールズやジャクソン・ポロック)を描いた映画では、恋愛という要素のために彼らの成功物語のピントがぼけることはない──こう指摘するのが妥当ではないか。
「シャネルを、クリエーティブ分野の真の有力者として捉えた映画が1つでもあるだろうか?」と、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙ファッション担当のスージー・メンケスは不満を漏らす。「どれも帽子や恋人、宝石の話ばかり。タフで逆境に強い精神がまったく伝わってこない」
こうしたずれを最も強く感じさせるのが、『ココ・アヴァン・シャネル』のラストシーンだ。パリ本店でオートクチュールショーを行っている最中、シャネルがらせん階段の一番上に腰掛けている。
その柔らかく優雅な表情は、自分の前を歩くモデルたちを見るうちに冷たく、超然としたものに変わっていく。複雑で興味をそそる本来の人物像とは違い、成功して強い影響力を持つようになったシャネルはとっつきにくく、傲慢といわんばかりだ。
シャネル役のトトゥの美しさは完璧。だが、まるでオードリー・ヘプバーンのようにシャネルを演じている。現実のシャネルは、どちらかといえばキャサリン・ヘプバーンに近かったのだが。
実は、キャサリン・ヘプバーンは69年にブロードウェイのミュージカルでシャネルを演じている。舞台が盛り上がるのは第2幕。一時期引退していたシャネルが、カムバックを構想しているときだ。
幕が上がってヘプバーンの最初の言葉は「クソ!」。これはヘプバーン自身が脚本に入れたものだった。ココ・シャネルの物語は、必ずしもいい香りで満たす必要はないのだ。
[2009年9月 9日号掲載]