フランス文学者の渡辺一夫は、1951年に「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」と題するエッセイを発表した(『渡辺一夫評論選 狂気について 他二十二篇』岩波書店、p.194〜211)。
渡辺の主張は、不寛容を過度に抑圧すると、迫害された側の猜疑心が一層強まったり、人々を狂信に駆り立てる「殉教者」が生まれたりするので、不寛容には極力、寛容あらねばならないという警句であった。
参政党には、排外主義的な傾向や根拠に乏しい財源論など、明らかに多くの問題がある。しかし、支持者が託した「民意」──物価高に苦しむ市井の人々や日本の伝統・秩序を尊ぶ地域住民の「声なき声」──を頭ごなしに否定してしまえば、社会の分断は一層深まるばかりである。
渡辺のエッセイで筆者が特に惹かれるのは、終盤に書かれた次の一節である。
寛容性や多元主義は、人権や多様性を信奉する「リベラル」の専売特許ではない。人間くさい「利害打算」で動く普通の人びとにとっても、その価値は十分に理解されうる。そして、この「打算的な多元主義」こそ、時に悪魔的にもなるポピュリズムと共存する上で、鍵になるのではないか。
参政党の躍進を受け、「良識の府」とされる参議院の存在意義に疑義を呈する向きもある。しかし筆者はむしろ、多元的民意の反映を掲げる参議院の真価が、今こそ試されていると考える。
「無意味な第二院」で終わるのか、それとも民主主義の健全なダイナミズムを担う「意味のある緩衝装置」として機能するのか。参政党の動向は、日本の民主主義のレジリエンス(強靭さ)を測る試金石となる。一参議院研究者として、また一有権者として、今後もこの問いに向き合い続けたい。
[注]
(*)英国で、衆議院の小選挙区制がポピュリズムを涵養したという指摘は、近藤康史『分解するイギリス――民主主義モデルの漂流』(ちくま新書、2017年、4章)と、高安健将『議院内閣制――変貌する英国モデル』(中公新書、2018年、p.161-163)にも見つかる。近藤が紹介する調査によると、英国有権者では離脱派が多かったが、議会では、既存政党に有利な小選挙区制の影響で、EU残留派が多数を占めていたという。
高宮秀典 (Shusuke Takamiya)
1992年生まれ。拓殖大学政経学部助教。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、博士(法学)。専門は現代日本政治論。著書に『参議院による多元的民意の反映──政治改革の補正と阻害』(東京大学出版会、2025年)、共著に『アウトサイダー・ポリティクス――ポピュリズム時代の民主主義』(岩波書店、2025年)。「参議院の人材的な独自性と政治的帰結――参議院の民意反映機能とシニア性に着目して」というテーマで、サントリー文化財団2020年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」に採択。
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『渡辺一夫評論選 狂気について 他二十二篇』
渡辺一夫[著]大江健三郎 ・清水 徹 [編]
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