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論壇誌『アステイオン』102号の特集「アカデミック・ジャーナリズム2」をテーマに行われた佐藤卓己・上智大学教授と武田徹・専修大学教授による対談より。本編は前編。
武田 日本のジャーナリズムが危機的状況にあると思ったのは、2024年11月の兵庫県知事選です。ひとつの分水嶺だったのではないでしょうか。
SNSや動画の影響力が非常に強かったことが、出口調査などで判明しています。そのような現実を前にして「マスメディアの敗北」「マスメディアの終焉」といった特集を論壇誌が選挙後にこぞって組みました。
「ネットメディア」対「マスメディア」という対立軸で考えているのだと思いますが、そこにはジャーナリズムの議論が不在でした。ジャーナリズムの存在価値が薄れていて、もはや引き返せない地点に近づいている、いわばルビコン川を渡りつつあると思いました。
佐藤 今回の兵庫県知事選について、論壇誌で語られている「ネット選挙元年」的な見方とは少し異なる考えを私は持っています。
たしかに、ジャーナリズムが選挙をめぐる重要な争点を十分に伝えなかったという「不作為」にはマスメディアに責任があると思います。しかし一方で、「ネットの影響力が選挙結果を決定づけた」とする見方には、やや懐疑的です。
とはいえ、ジャーナリズムが弱体化している現状は否定できません。だからこそ、より積極的に踏み込んで「語る」ジャーナリズムが求められていると感じています。今回の『アステイオン』102号特集は「アカデミック・ジャーナリズム2」ということで、95号(2020年)に引き続き、2回目ですよね。
武田 はい。『アステイオン』で二度特集していますが、実はその前の2014年に三省堂から刊行された『現代ジャーナリズム事典』に「アカデミック・ジャーナリズム」という語を取り上げています。
そこでの定義は、「人類学、社会学などで蓄積されてきた科学的な調査方法を駆使し、学術研究(アカデミズム)の世界でも十分に通用するクオリティーを持ったジャーナリズム」でした。
この定義につながる提案は2011年10月27日付『朝日新聞』への寄稿に始まります。「川上」であるアカデミズムからの流れだけでなく、逆向き、つまりジャーナリズムという「川下」から上流を上っていく流れも必要ではないかという主張を書いていました。
佐藤 『現代ジャーナリズム事典』はもう10年以上になりますね。私はジャーナリズムとは距離のある項目、「プロパガンダ」「世論操作」「ファシズム」などを執筆しました。これも武田さんが「汽水域」と呼んでおられる、まさにアカデミズムとジャーナリズムが交差する領域ですね。相互の行き来が必要であるわけですから。
『アステイオン』95号の特集論考「アカデミック・ジャーナリズムの「高度成長」──粕谷一希の「中公サロン」編集術」で、山本昭宏さんは、次のようにアカデミック・ジャーナリズムを定義しています。
山本さんは川上からのアプローチを強調していますが、武田さんはむしろ、川下であるジャーナリズムからのアプローチの必要性を感じておられるのですね。