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2024年3月29日、映画『オッペンハイマー』(Oppenheimer) が他の国々より約8カ月遅れて日本で公開された。
本作は、世界で初めて原子爆弾を開発し、「原爆の父」としばしば呼ばれる物理学者J・ロバート・オッペンハイマーの生涯を描いている。『ダークナイト』(The Dark Knight、2008年)など数々のヒット作を手がけてきたクリストファー・ノーランが監督し、脚本と共同製作も務めている。
ジャーナリストのカイ・バードと、歴史家マーティン・J・シャーウィンが書いた伝記『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』(PHP研究所、2007年〔ハヤカワ文庫『オッペンハイマー』、2024年〕、原著2005年)が〝原案〟である。
この原案本がジャーナリズムと歴史学とのコラボレーションであることは重要である。つまりこの映画は、ジャーナリズムの科学化(学問化)の理想のような本から発想されたのである。
いくつかの前提を確認しておきたい。まず本作は長さ3時間という大作ではあるものの、一般論として映画1本ですべてのことを描くことはできず、時間的な限界がある、という事実である。
この映画に対して「広島や長崎への原爆投下を描いていない」という批判が数え切れないほどなされた。しかしこの作品に限らずそれぞれの映画にはそれぞれのトピックがあり、優先して描かれるべきことがある。単純な事実として、『オッペンハイマー』は広島・長崎への原爆投下を描くことを目的にした映画ではない。
また、『オッペンハイマー』が「広島や長崎への原爆投下を描いていない」という批判は、『オッペンハイマー』が描いていることを正確に理解できたうえでないと成立しないはずだ。
ところが、この映画が描いていることを正確に理解できていないまま、これを批判する言説が数え切れないほどあるように見受けられる。
さらにいえば、「見せないことで見せる」ということは映画という芸術メディアの常套手段である。疑う人は、たとえば『関心領域』(The Zone of Interest、ジョナサン・グレイザー監督、2023年)を観てほしい。
「『関心領域』はホロコーストを描いていない」という批判はあるのだろうか。あったとしても、その批判は的を射ているとはいえまい。『関心領域』の観客は、画面に映る高級コートや化粧品、川に流れる灰、突然姿を消す母親、壁とその上に漂う煙などを見ることで(そしてずっと続く不穏な音を聞くことで)、画面には映らないアウシュビッツ強制収容所を見るのである。