佐藤 メディアの歴史から見れば、メディアやジャーナリズムが「客観報道」を主張する時は、右の人から左の人にまで幅広く「売りたい」というビジネス思考が見え隠れします。「客観報道」は、一種の建前になってしまうのです。
そもそも明治の大新聞(おおしんぶん)の時代には、客観報道に関する議論はほとんどありませんでした。政論新聞はジャーナリズムの独立性を強調するけれども、客観性についてはあまり挙げません。
むろん、中新聞が右派と左派の双方を読者として想定したことは、大きな分断のない日本社会をつくることに寄与したという意味では、結果的には良かったとは思いますが......。
武田 日本の新聞でも、寄稿や、社説などの論説記事は「正しさに価値をおくことが多く、何々す「べし」という表現が多用されますが、本文記事の方は客観報道に徹するという建前から「べし」などの文章表現が見当たりません。主張がないので、確かに多くの読者に受け入れられやすい。
佐藤 しかし、SNS全盛の時代になって、ジャーナリズムが、なおも客観報道にこだわる必要はどこにあるのでしょうか。
武田 日本のジャーナリズムは客観報道の可能性を安易に信じたがりますね。その理由のひとつは、「敗戦国のジャーナリズム」という、特殊な事情があるように思います。
「戦争中にとんでもないことをやってしまった、今度こそ事実しか報じない」という誓いを立てて再スタートをしたわけです。しかし、そこには無理があった。その偏りを、今こそ修正する時期なのかもしれません。
※後編:メディアを「疑う力」だけが育ってしまった...「ポストヒューマン時代」のジャーナリズムのかたちとは? に続く
佐藤 卓己(Takumi Sato)
上智大学文学部新聞学科教授、東京大学大学院情報学環客員教授、京都大学名誉教授
1960年、広島県広島市生まれ。1989年、京都大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。東京大学新聞研究所助手、同志社大学文学部助教授、国際日本文化研究センター助教授、京都大学大学院教育学研究科教授を経て、現職。専門はメディア文化論。著書に『大衆宣伝の神話』(ちくま学芸文庫)、『現代メディア史 新版』(岩波書店)、『キング』の時代』(岩波現代文庫、日本出版学会賞、サントリー学芸賞)、『言論統制 増補版』(中公新書、吉田茂賞)、『八月十五日の神話』(ちくま学芸文庫)、『テレビ的教養』(岩波現代文庫)、『輿論と世論』(新潮選書)、『ヒューマニティーズ 歴史学』(岩波書店)、『ファシスト的公共性』(岩波書店、毎日出版文化賞)、『流言のメディア史』(岩波新書)、『あいまいさに耐える』(岩波新書)など多数。
武田 徹(Toru Takeda)
ジャーナリスト、専修大学文学部ジャーナリズム学科教授、アステイオン編集委員
1958年、東京都生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科修了。大学院在籍中より評論・書評など執筆活動を始める。東京大学先端科学技術研究センター特任教授、恵泉女学園大学人文学部教授を経て、現職。専門はメディア社会論。著書に『偽満洲国論』『「隔離」という病い』(ともに中公文庫)、『流行人類学クロニクル』(日経BP社、サントリー学芸賞)、『NHK問題』(ちくま新書)、『原発報道とメディア』(講談社現代新書)、『暴力的風景論』(新潮選書)、『日本語とジャーナリズム』(晶文社)、『現代日本を読む──ノンフィクションの名作・問題作』(中公新書)、『神と人と言葉と 評伝・立花隆』(中央公論新社)など多数。
『アステイオン102』
公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
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