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アステイオン・トーク

ルビコン川を渡る、日本のジャーナリズム...SNS時代に「客観報道」は必要なのか?

2025年08月27日(水)11時00分
佐藤卓己+武田 徹(構成:木下浩一)

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武田 そうです。アカデミズム側からの発信は、昔から論壇誌があります。多くのアカデミシャンが、一般読者に対して多様な言論をそこで展開していました。それに対して、川下のジャーナリズムから「遡上」する動きは、弱かったのではないでしょうか。

佐藤 アカデミズムからの発信は、確かにありました。一方でそのような発信を、アカデミズム内部が評価していたかといえば、そうではありません。

私が昨年まで勤めていた京都大学には、社会学者の加藤秀俊(1930-2023年)さんがいました。加藤先生は積極的にマスコミでの言論活動を行い、『見世物からテレビへ』(岩波新書)なども執筆して、最初期のメディア研究をリードしましたが、アカデミズム側からの評価は必ずしも高くはなかった。

私が後任として着任するまで30年以上もメディア研究者は京大にいなかったわけですから。武田さんの言うところの「汽水域」の不在が影響したのかもしれません。

ジャーナリズムにおける方法論の不在

佐藤 私は現在、上智大学文学部新聞学科にいますが、大学で教える「ジャーナリズム論」は、突き詰めれば、ジャーナリストの道徳の話です。そこでは、記事やニュースが真か偽かということにエネルギーを注いでいます。内容の真偽を倫理的に問うのであれば、方法論は、さほど必要ありません。

武田 ジャーナリズムに方法論がないことは、私自身がジャーナリズムに身を置き始めたときから感じていました。

佐藤 他方、私が専門とする「メディア論」は、真偽ではなく、影響力の大小に注目します。今回の特集では、メディア・リテラシー教育を論じる論考もありましたが、受け手へのリテラシー教育としては、効果の大小を問うメディア論が有効です。

武田 例えば、エスノメソドロジーという学問領域は、日常生活において無意識に行われる行為の形式に着目します。その会話分析などの手法を使えば、たとえばジャーナリズムにおけるインタビューの精度は格段に向上するはずです。

佐藤 そうですね。しかし、それは武田さんご自身が、研究者としてのトレーニングを大学院で積まれたからこそ、ジャーナリズムに方法論を求めることが可能なのだと思います。いまのところ、それはジャーナリストとしては非常に例外的なキャリアですよね。

ジャーナリスト個人による「一人称」の語り

武田 学術の世界で鍛えられて来た方法の採用のほかにいま必要とされているのは、ジャーナリスト個人による「一人称」、つまり「わたし」を打ち出すことではないでしょうか。

佐藤 武田さんがおっしゃられる、その一人称の典型は署名記事ですね。しかし、書いた記者の名前がネットにさらされ、場合によっては住所までが公開されてしまう現在、署名記事を増やすことに対して、現場では相当ブレーキがかかっているのではないでしょうか。その結果、ジャーナリズムにおける匿名性がさらに強化されてくるように思います。

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