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論壇誌『アステイオン』101号の特集「コロナ禍を経済学で検証する」をテーマに行われた伊藤由希子・慶應義塾大学大学院商学研究科教授、大竹文雄・大阪大学感染症総合教育研究拠点特任教授、横山広美・東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構教授、土居丈朗・慶應義塾大学経済学部教授による座談会より。本編は後編。
※前編:なぜ「まん延防止」は長引いてしまったのか?...「経済」が軽視された、日本の新型コロナ対策を「今こそ」振り返る から続く
土居 コロナ禍では、専門知を社会にどう発信し、貢献するかに関して、さまざまな障害に直面しました。
専門知が一般国民にすんなりと受け入れられたというわけでもなかったですし、逆に専門知に対して一部の国民から批判が出たりしました。あるいは、専門家の間でも、研究領域が異なると専門知が共有されないこともありました。
特に情報発信やコミュニケーションについて、まずは大竹先生におうかがいできますでしょうか。
大竹 情報発信について2つ考えたことがあります。1つはトレードオフの概念、もう1つは人間に対する考え方でした。
経済学者が当然と思っていることでも医療関係者が当然と思っていないことがあり、その双方の認識のズレを埋める必要がありました。
一番大きかったのは、トレードオフ、つまり何かを得ると、別の何かを失うという考え方です。経済学者は感染対策によって感染者が減るというメリットと、経済への悪影響や命など感染対策によって失われるものの両方を考えます。
しかし、医療関係者からは、感染対策は医療関係者でやるから、経済対策は経済学者で解決してくださいと言われました。トレードオフという概念をなかなか理解してもらえず、感染者を抑えこむための対策によって起こりうる経済的損失や自殺・教育・貧困への理解が深まりませんでした。
土居 なるほど。それでは、2つ目の「人間に対する考え方」とは具体的にはどういうことでしょうか?
大竹 人間は情報を得て、ある程度は合理的に意思決定し、自らの行動を変えるものだと経済学者は考えています。感染者数が増えている、感染しやすいのは3密だという情報があれば、人間は感染リスクが高い行動を控えると考えます。
ところが、医療関係者の多くの方々は、人は非合理で行動制限をしない限り、好き勝手なことをやるものであるという考え方が根底にありました。感染症の専門家が出すシミュレーションの前提もそうなっていました。そのため、コロナ対策が常に行動制限する方向で議論されたのです。
土居 経済学者が異分野の人と話をするときは、経済学者が前提としているものが異なっているという点を理解した上で説明しないと伝わらないということですね。